今日の聖句6月4日(土)\(^o^)/ 主は、昼は、途上の彼らを導くため雲の柱の中に、また夜は、彼らを照らすため火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。 出エジプト13:21 かつて書かれたものはすべて、私たちを教えるために書かれました。それは、聖書が与える忍耐と励ましによって、私たちが希望を持ち続けるためです。 ローマ15:4 ************ 今週のテーマ:神の完全 きょうの聖書:黙示録22:12-17 ヨハネの黙示録22章12節13節14節 「見よ、わたしはすぐに来る。それぞれの行いに応じて報いるために、わたしは報いを携えて来る。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」自分の衣を洗う者たちは幸いである。彼らはいのちの木の実を食べる特権が与えられ、門を通って都に入れるようになる。 「再臨による総仕上げ」 完全な存在である神様が計画し、実行した救いの働きを再臨によって総仕上げをされるという約束です。最初でありとは、宇宙の創造前からの実在者であり、最後であるとは、宇宙が消滅した後も輝き続けるお方であるということです。そのお方が栄光の王として再臨するので悔い改め身を慎んで待っていなさいといわれているのです。 彼らとは、私たちを含むイエス・キリストを信じて罪の赦しと救いを受けたクリスチャンのことであり、キリストが支配する永遠の神の国でキリストとの深いつながりの中で生きるという特権を与えられている人です。これは、無力な人にとっても、力のある人にとっても等しく待ち望まれる大きな希望です。 アブラハムは神様の誠実さと真実さを信じて義と認められましたが、私たちはその上に更にキリストの再臨を信じて待ち望むことによってキリストにつながることができるのです。それはイエス様が命がけで約束されたことだからです。私たちが再臨を信じて待ち望んでいるということは「悔い改め」てきよい生活をしているということによって証明されます。 ですから、「自分の衣を洗う者たちは幸いである」と言われるのです。再臨への信仰が定まらないと徹底した悔い改めに届かないのです。反省はするけれど生活が改まらないということではいけません。イエス様は再臨して神の国を完成されます。その時に罪にまみれた生活をしていてはイエス様を出迎えることができません。イエス様の十字架は今日も私たちの頭上に輝いています。 祝福を祈ります。