今日の聖句5月29日(日)\(^o^)/ 実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして私が建てたこの宮など、なおさらのことです。 1列王記8:27 いまだかつて神を見た者はいません。私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにとどまり、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。 1ヨハネ4:12 ************ 今週のテーマ:神の完全 きょうの聖書:マタイ28:16-20 マタイの福音書28章 イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています。ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」 「ともにいる」 モーセに現れた神様はご自分の御名を「わたしはある」と自己紹介されました。マタイ伝の1章で主は「その名はインマヌエルと呼ばれる」「神が私たちとともにおられる」という意味であると紹介されました。神の完全の第一は、神様が私たち人間と常に共にいるという点にあります。神様が人から離れることはないのです。 「あらゆる国の人々を弟子としなさい」というとてつもなく大きなビジョンを見上げ、そして小さな自分を見下ろすとその大きな落差に失望します。ですからキリストは大きな使命を聞かせたら、次は目を大きなキリストに向けさせてくださるのです。このキリストが全世界の民を弟子とする働きに弟子たちに離れることなく同行してくださるのです。 それは世の終わりまでいつも変わりません。終わりまでには、迫害、背教、戦争、飢饉も大地震もあるのですがその間常にキリストは共にいてくださるのです。「いつも」と訳された言葉は直訳すると「すべての日々に」と訳される言葉です。インマヌエルの登場で始まったマタイ伝はインマヌエルの成就で私たちの心にイエス・キリストを残してくれました。 迫害に苦しむ日にも、躓いた友が教会を去るときにも、戦争と戦争の噂で世間がごった返す日にも、異端と偽キリストが教会を迷わす日にも、嬉しい日も悲しみの日も、晴れ晴れとした日にも、憂鬱な日も、キリストが共にいてくださらないという日はありません。永遠のいのちです。私たちがキリストから切り離されたり、キリストの愛から引き離されてしまうということはないのです。 祝福を祈ります。