今日の聖句5月26日(木)\(^o^)/【昇天記念日】 彼らは主の家に植えられ私たちの神の大庭で花を咲かせます。彼らは年老いてもなお実を実らせ青々と生い茂ります。 詩篇92:13-14 わたしは再びあなたがたに会います。そして、あなたがたの心は喜びに満たされます。その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。 ヨハネ16:22 ************* 今週のテーマ:アブラハムの信仰 きょうの聖書:ヨハネ8:48-59 ヨハネの福音書8章56節57節58節 「あなたがたの父アブラハムは、わたしの日を見るようになることを、大いに喜んでいました。そして、それを見て、喜んだのです。」そこで、ユダヤ人たちはイエスに向かって言った。「あなたはまだ五十歳になっていないのに、アブラハムを見たのか。」イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある』なのです。」 「神につくアブラハム」 ユダヤ人たちがイエス様を「悪霊につかれた異邦人」と呼んで誹謗中傷し、イエス様が「わたしの父を敬っている」と反論して議論している場面です。44節でイエス様はユダヤ教徒たちを「悪魔から出た者」と呼んでいます。聖書は創世記から人間を二つに分けています。神につく者、悪魔につく者です。 悪魔につく人の典型的な姿は「嘘をつく」という所にあります。クリスチャンでもノンクリスチャンでも同じです。信仰の世界ではイエス様の話すこと信じないという点が悪魔につく人の共通点です。真理が嫌いなのです。神につく人は、自分の心の中に神の言葉、みことばの定位置を保持しています。いつみことばが語られてもそれを受とれるのです。 イエス様はユダヤ人たちに「あなたがたの父アブラハムは、わたしの日を見るようになることを、大いに喜んでいました」と話しています。ユダヤ人は「あなたはまだ五十歳になっていないのに、アブラハムを見たのか」と言いますが、それに対してもイエス様は「アブラハムが生まれる前から、『わたしはある』なのです」と言ってご自分がモーセが礼拝した神であることを明言しました。 アブラハムは神様を知っていた人であり、常に神様の側に立って生きていた人なのです。神様につく人は子どもであっても説教を理解します。しかし神を愛さない冷たい人は、どんなに良い話をしても説教を理解しません。聞く耳がないのです。聞く側にキリストや神様への心の傾斜があり、キリストの愛への期待が芽生えているかどうかの問題なのです。 祝福を祈ります。