今日の聖句5月24日(火)\(^o^)/ 主よ、どうか激しく怒らないでください。いつまでも、咎を覚えていないでください。どうか今、私たちがみな、あなたの民であることに目を留めてください。 イザヤ64:9 私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。しかし、もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の前でとりなしてくださる方、義なるイエス・キリストがおられます。 1ヨハネ2:1 ************* 今週のテーマ:アブラハムの信仰 きょうの聖書:ローマ4:1-12 ローマ人への手紙4章3節4節5節 聖書は何と言っていますか。「アブラハムは神を信じた。それで、それが彼の義と認められた」とあります。働く者にとっては、報酬は恵みによるものではなく、当然支払われるべきものと見なされます。しかし、働きがない人であっても、不敬虔な者を義と認める方を信じる人には、その信仰が義と認められます。 「信仰義認」 アブラハムが神様から義と認められたのは善行の結果ではなく、アブラハムが神を信じた信仰の結果だと言われています。ローマ書はパウロがローマ教会の信者に書き送った手紙ですが、ローマ教会にはユダヤ人クリスチャンが大勢いました。彼らにはユダヤ教の習慣が身についていて、ユダヤ教の割礼を受けなければ救われないと主張したのです。 パウロはアブラハムが救われて義と認められたのはユダヤ教が生まれる前であり、アブラハムが割礼を受ける前だったと述べて、割礼を受ける受けないは救いには無関係であること、ユダヤ教の律法を守る守らないも救いには無関係であることを力説しています。 働きがない人とはユダヤ教の習慣に捕らわれない人のことであり、難行苦行をしない人のことです。割礼を受ければ救われるならイエス様は死ななくてよかったはずですし、善行によって救われるなら、十字架も必要なかったのです。人が救われるために必要な―ことはただ一つキリストを信じることだけです。 アブラハムは神様を信じることによって義と認められ、罪の赦しを与えられ、神様の大きな愛に包まれて生きた人の先頭を歩くリーダーです。私たちもアブラハムのように神様の恵みと祝福の中で生きるものとされています。すべてはイエス・キリストが成し遂げてくださっているので私たちは信じて恵まれるだけです。 祝福を祈ります。