今日の聖句5月23日(月)\(^o^)/ 喜び歌え私たちの力なる神に。喜び叫べヤコブの神に。 詩篇81:1 悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持っていないようでも、すべてのものを持っています。 2コリント6:10 ************ 今週のテーマ:アブラハムの信仰 きょうの聖書:創世記22:1-12 創世記22章1節2節3節 神がアブラハムを試練にあわせられた。神が彼に「アブラハムよ」と呼びかけられると、彼は「はい、ここにおります」と答えた。神は仰せられた。「あなたの子、あなたが愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そして、わたしがあなたに告げる一つの山の上で、彼を全焼のささげ物として献げなさい。」翌朝早く、アブラハムはろばに鞍をつけ、二人の若い者と一緒に息子イサクを連れて行った。アブラハムは全焼のささげ物のための薪を割った。こうして彼は、神がお告げになった場所へ向かって行った。 「とことん信じる」 アブラハムが100歳にして初めて与えられたアブラハムの後継者になるイサクを神様は全焼のささげ物として献げなさいと命じました。アブラハムは困惑しましたが命令を受けた翌朝には神様の指図通りに行動を開始しました。神様はアブラハムを試練に合わせられたと明言されています。 アブラハムがどこまで神様を信じて従がうかを神様んがテストしているというのです。この試練に対してアブラハムは神様にとことん信じる信仰で応答しました。アブラハムの神様への信仰と信頼は、損得なしに集中して徹底的に信じるという信仰でした。利益があれば信じるが利益がなければ信じないというケチな信仰ではないのです。 このことには父親が息子を犠牲にするというテーマがあります。御父が御子を犠牲にして世界を救うという壮大な計画があったということです。御子の犠牲はたまたまそうなったというのではなく、神様の大きな御計画の中でなされたことであり、アブラハムがイサクを献げる決心をしたように、神様も世界を救うために御子を犠牲にする決断をしていたのです。 私たちにもとことん信じる信仰が求められています。最後の最後まで神様の愛と真実、神様の力と誠実さを信じて人生を委ねていく信仰です。自主性が失われると思うかもしれませんが、最終的に信じられるのは神様だけだという結論はすでに出ていることなのです。アブラハムの信仰はそこまで成長していたのです。 祝福を祈ります。