今日の聖句5月14日(土)\(^o^)/ 実に、私たちは滅び失せなかった。主のあわれみが尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は偉大です。 哀歌3:22-23 ですから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。 2コリント4:16 ************ 今週のテーマ:イエスと聖書 きょうの聖書:ヨハネ2:13-32 ヨハネの福音書2章13節〜16節 イエスはエルサレムに上られた。そして、宮の中で、牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを見て、細縄でむちを作って、羊も牛もみな宮から追い出し、両替人の金を散らして、その台を倒し、鳩を売っている者たちに言われた。「それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家にしてはならない。」 「真の礼拝」 続きの19節に「この神殿を壊してみなさい。わたしは、三日でそれをよみがえらせる」そして、21節に「イエスはご自分のからだという神殿について語られたのであった」というイエス様の発言が記録されています。これは受難週の「宮きよめ」といわれている聖書箇所ですが、きよめて綺麗にするというより、神殿礼拝を廃止する宣言です。 「わたしの父の家を商売の家としてはならない」といわれているのは、動物を犠牲にして捧げる神殿礼拝には事細かに規定があって、一般庶民には、捧げて良い動物と、捧げてはいけない動物の区別がつかないので、専門知識のある人が商人となって動物を扱わなければならなくなっていたということをイエス様が厳しく咎めたということです。 そもそも、動物を犠牲にして人の罪の赦しを願うという事そのものが、救い主が自分の命を犠牲にして人の罪の赦すということの模型であるわけですし、神殿で礼拝されている神様はイエス・キリストご自身であるわけですから、真の神であるイエス様が登場したからにはもはや動物を犠牲にする神殿礼拝は無用のものとなっているのです。 イエス様が死んだということは、神殿そのものが死んだのですから、神殿礼拝と犠牲礼拝に終止符が打たれたということです。イエス様が復活したということは、全人類の全ての罪が赦され、神イエス・キリストへの礼拝が捧げられるということです。私たちはイエス・キリストによって救われ、日々、イエス・キリストを礼拝して生きているのです。 祝福を祈ります。