今日の聖句5月4日(水)\(^o^)/ 見よ子どもたちは主の賜物、胎の実は報酬。 詩篇127:3 イエスは一人の子どもの手を取って、彼らの真ん中に立たせ、腕に抱いて彼らに言われた。「だれでも、このような子どもたちの一人を、わたしの名のゆえに受け入れる人は、わたしを受け入れるのです。 マルコ9:36-37 ************ 今週のテーマ:子どもの祝福 きょうの聖書:出エジプト1:15-21 出エジプト記1章16節17節 彼は言った。「ヘブル人の女の出産を助けるとき、産み台の上を見て、もし男の子なら、殺さなければならない。女の子なら、生かしておけ。」しかし、助産婦たちは神を恐れ、エジプトの王が命じたとおりにはしないで、男の子を生かしておいた。 「子どもの命」 飢饉のためにカナンを離れてエジプトに非難したヤコブとその子どもたちは、避難の当初はエジプトで総理大臣になっていたヤコブの第11男であるヨセフの計らいで平安な生活ができましたが、時代が下ってヨセフを知らない人がエジプトの王位に就いたとき、エジプトはへブル人と呼ばれていたイスラエルを奴隷として酷使するようになりました。 イスラエルの勢力が増強されるのを見て当時のエジプト王ファラオはへブル人の助産婦に「男の子なら、殺さなければならない。女の子なら、生かしておけ」と厳命しました。この助産婦は神様をおそれる敬虔な信仰を持っていましたので、女児も男児も無事に出産させていました。 ファラオは王命に背いた助産婦に「なぜこのようなことをして、男の子を生かしておいたのか」と詰問しましたが、助産婦たちは神様から与えられた知恵で、「ヘブル人の女はエジプト人の女とは違います。彼女たちは元気で、助産婦が行く前に産んでしまうのです」と答えてファラオの咎めをしのぎました。 この時命拾いをしたのが後にイスラエルをエジプトから救い出す働きに用いられるモーセです。子どもの命は大事です。子どもの命を守る人には神様からの恵みと祝福は絶えません。人命、ことに暴力で子どもの命を奪う人には神様からの大きな咎めが降ります。生まれた時には小さな命も、神様によって育てられ、後々、世のため人のために有益なものとなり、更に世界を救う逸材に成長するのです。 祝福を祈ります。