今日の聖句4月21日(水)\(^o^)/ 悪を憎み、善を愛し門で正しいさばきを行え。もしかすると、万軍の神、主はヨセフの残りの者をあわれんでくださるかもしれない。 アモス5:15 光の子どもとして歩みなさい。あらゆる善意と正義と真実のうちに、光は実を結ぶのです。 エペソ5:8-9 ************* 今週のテーマ:復活 きょうの聖書:ローマ6:1-11 ローマ人への手紙6章9節10節11節 私たちは知っています。キリストは死者の中からよみがえって、もはや死ぬことはありません。死はもはやキリストを支配しないのです。なぜなら、キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです。同じように、あなたがたもキリスト・イエスにあって、自分は罪に対して死んだ者であり、神に対して生きている者だと、認めなさい。 「罪に対する死」 イエス・キリストが復活したように私たちも復活できる、これがキリストの恵みです。罪の泥沼に沈んていた私たちでしたが、イエス・キリストは地獄の底から私たちを抱えてよみがえり、私たちを神様の大きな愛の中で安らかに生きられるようにしてくださいました。 きょうの聖書は、「自分は罪に対して死んだ者であり、神に対して生きている者だと認めなさい」と強調しています。イエス様が死んだのは私たちの身代わりですから、神様は私たちが罪に対して死んだものだと認めてくださっているのです。私たちにもそれを認めなさいと言われています。 「罪に対して死に、神に向かって生きる」これが信仰の極意です。この真理を理解すると信仰生活が楽になります。これがいわゆる「きよめ」であり、心の中にあった暗い重荷が消滅します。パウロはガラテヤ2:20で「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです」と告白しています。 十字架につけられたキリストに自分を重ねて考えることです。「主の手にわが手を重ね、主の足にわが足重ね」と歌われている通りです。キリストの死と同じになるならキリストと共によみがえるのです。キリストの十字架と私たちの人生が深くかかわりあうとき私たちのいのちは豊かに輝きます。 祝福を祈ります。