今日の聖句4月12日(火)\(^o^)/ 喜びの声をあげて、これを告げ、聞かせよ。地の果てにまで響き渡らせよ。「主が、そのしもべヤコブを贖われた」と言え。 イザヤ48:20 御父は、私たちを暗闇の力から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。 コロサイ1:13 ************* 今週のテーマ:十字架上のイエス きょうの聖書:ルカ22:39-46 ルカの福音書22章42節43節44節 「父よ、みこころなら、この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしの願いではなく、みこころがなりますように。」〔すると、御使いが天から現れて、イエスを力づけた。イエスは苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。〕 「ゲッセマネの祈り」 今日は受難週の三日目の火曜日で、イエス様は多くの譬えを用いて世の終わりについて教えられました。きょうの聖書は木曜日の最後の晩餐の後の出来事です。イエス様はご自分と「悲しみ、苦しみ」を共有して祈ってくれる祈りの友を求めておられるます。今夜、襲ってくる「つまずく」誘惑に陥らないよう祈っていなさいと指導もしています。 それほどの状況の中でもキリストの警告と約束を自分に当てはめない呑気なクリスチャンは眠ってしまうのです。「この杯をわたしから取り去ってください」というイエス様の苦祷が記されています。旧約聖書で使われる「杯」はすべて神の怒りと審判に限られています。イエス様は正真正銘の人間です。 死に反発し、死を本能的に拒否する当たり前の人間です。その上全く無罪です。そのイエス様の頭上に神の怒りの杯が炸裂しようとしているのです。「父よ、みこころなら、この杯をわたしから取り去ってください」と助けを求め、最後には「わたしの願いではなく、みこころがなりますように」と委ねて祈り終わります。 イエス様は初めから「この杯」を飲むつもりでした。ただそれを父の命令だから、嫌々ながら飲むというのでなく、本当に従順に裁きの盃を飲むために血が滴るように汗を流して祈りの戦いを戦ったのがゲッセマネの祈りでした。こうしてイエス様は十字架に向かって足を踏み出していく勇気と力を勝ち取ったのです。 祝福を祈ります。