今日の聖句3月28日(月)\(^o^)/ 地震の後に火があったが、火の中にも主はおられなかった。しかし火の後に、かすかな細い声があった。 1列王記19:12 風は思いのままに吹きます。その音を聞いても、それがどこから来てどこへ行くのか分かりません。御霊によって生まれた者もみな、それと同じです。 ヨハネ3:8 ************* 今週のテーマ:主のぶどう畑 きょうの聖書:イザヤ5:1-7 イザヤ書5章5節6節 さあ、今度はわたしがあなたがたに知らせよう。わたしが、わがぶどう畑に対してすることを。わたしはその垣を取り払い、荒れすたれるに任せ、その石垣を崩して、踏みつけられるままにする。わたしはこれを滅びるままにしておく。枝は下ろされず、草は刈られず、茨やおどろが生い茂る。わたしは雨雲に命じて、この上に雨を降らせないようにする。 「破滅」 ぶどう畑はイスラエルのことです。作った人は神様です。甘い実ができることを期待して畑を丹精しましたができたのは酸いぶどうでした。それで神様はこのぶどう畑であるイスラエルを放棄することにしました。甘いぶどうとは良い礼拝を捧げ、互いに愛し合う生活をすることです。 ところがイスラエルは偶像を礼拝し、互いに憎み合う生活に陥ってしまったのです。それは偶像礼拝が自己中心であり、自分の悪い欲望を満たすために生きることだからです。自己中心はすべての罪の元です。聖書は別の個所でこの自己中心な生き方のことを姦淫と呼びます。恐ろしい罪です。 自己中心とは身勝手とかわがままとか言われます。神様は人間を愛し合う存在として造りました。人間は愛の中で生きる時に幸福を味わえるのです。神様から愛され、神様の愛で心を満たされている人が他の人を愛すことができるのです。偶像は人を愛しません。偶像礼拝からは愛が生まれることがないのです。 自分の欲望に振り回される人生は何の収穫もない無駄な人生になってしまいます。自分の欲望だけを優先するとその人の周囲は敵だけになってしまいます。最後には敵に踏みにじられてボロボロにされてしまうのです。イスラエルはアッシリヤとバビロニヤに攻められて国は滅び、国民は奴隷にされてしまいました。 祝福を祈ります。