今日の聖句3月9日(水)\(^o^)/ 主を恐れることは悪を憎むこと。 箴言8:13 実に、私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。 エペソ2:10 ************* 今週のテーマ:神の怒りと和らぎ きょうの聖書:ローマ11:17-22 ローマ人への手紙11章21節22節 もし神が本来の枝を惜しまなかったとすれば、あなたをも惜しまれないでしょう。ですから見なさい、神のいつくしみと厳しさを。倒れた者の上にあるのは厳しさですが、あなたの上にあるのは神のいつくしみです。ただし、あなたがそのいつくしみの中にとどまっていればであって、そうでなければ、あなたも切り取られます。 「神のいつくしみと厳しさ」 ユダヤ人がキリストを十字架につけて殺したおかげで異邦人が救われたという見方があります。それが原因でユダヤ人が神様の恵みから外されたのではないとパウロは言います。そもそも、初代教会を立ち上げたのはユダヤ人たちでした。新約聖書を書いた人は全員がユダヤ人でした。 しかし、ユダヤの宗教指導者のゆがんだ律法主義がキリスト教会を迷わせたので教会が律法主義を退けた結果、ユダヤ人クリスチャンが教会に居なくなったということなのです。ですから、異邦人クリスチャンも律法主義に陥り、あるいは律法的な信仰に傾くならば恵みの中にはとどまれないのです。 ユダヤ人はモーセの律法を守る者が救われると考えていました。ところが人を救うのはイエス・キリストの十字架による罪の贖い出した。キリストを信じる以外に人が救われるということはないのです。神様の御子イエス様が人間の罪の身代わりになって死ぬ以外に人が救われる道はなかったのです。 ですから、私たちもイエス・キリストへの信仰がなくなれば神様の愛と恵の世界から滑り落ちることになるのです。その結果は私たちの心に感謝と喜びが消え、不平と不満が満ちてしまいます。神のいつくしみと厳しさは現実なものです。自分の手柄によって救いをもらったと考えてはならないということです。 祝福を祈ります。