今日の聖句3月8日(火)\(^o^)/ 主のように聖なる方はいません。 1サムエル2:2 だれも、すでに据えられている土台以外の物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。 1コリント3:11 ************* 今週のテーマ:神の怒りと和らぎ きょうの聖書:ローマ9:19-29 ローマ人への手紙9章27節28節29節 イザヤはイスラエルについてこう叫んでいます。「たとえ、イスラエルの子らの数が海の砂のようであっても、残りの者だけが救われる。主が、語られたことを完全に、かつ速やかに、地の上で行おうとしておられる。」また、イザヤがあらかじめ告げたとおりです。「もしも、万軍の主が、私たちに子孫を残されなかったなら、私たちもソドムのようになり、ゴモラと同じようになっていたであろう。」 「」 パウロはローマ人への手紙の9章から11章までで神様とイスラエル人と異邦人教会の救いにについて詳しく述べています。一つにはユダヤ人は神様から捨てられてしまったのかという問題で、もう一つはすべてのユダヤ人が救われるのかという問題、三つめはユダヤ人と異邦人の救いの関係に関する事柄です。 パウロはユダヤ人の救いを真剣に祈りながらも、アブラハムの子孫のすべてが救われるわけではなく、残りの者である滅びを免れた者が救われるのだと言っています。ユダヤ人はモーセの律法を守っているものが救われると考えていますが、神様の咎めを受けて滅びに入ったものには救いはありません。 異邦人は律法を知らず、律法に縛られずに単純にキリストを信じて救われたのです。しかし、ユダヤ人に裁きの手が降ったように神様は異邦人にもユダヤ人に対応したのと同様に裁きを降します。異邦人もユダヤ人と同じ罪を犯すからです。ユダヤ人が神様から一時的に遠ざけられたかのように見えますが、それは異邦人教会に対する警告の意味もあるということです。 神様は罪と悪を決して見逃さないお方です。神様の裁きの時は必ず来ます。それは繰り返してエルサレムが滅ぼされたことによって証明済みです。でも、神様の裁きはエルサレムを立て直すためでした。私たちに対する裁きもまた、私たちを立て直すために下されるのですから、神様の怒りの裁きを信仰によって受け止めなければなりません。キリストによって救いの道は開かれているのです。 祝福を祈ります。