今日の聖句3月6日(日)\(^o^)/ 主はその聖なる宮におられる。全地よ、主の御前に静まれ。 ハバクク2:20 私たちはその方の星が昇るのを見たので、礼拝するために来ました。 マタイ2:2 ************* 今週のテーマ:神の怒りとやわらぎ きょうの聖書:マタイ11:20-24 マタイの福音書11章22節23節24節 おまえたちに言う。さばきの日には、ツロとシドンのほうが、おまえたちよりもさばきに耐えやすいのだ。カペナウム、おまえが天に上げられることがあるだろうか。よみにまで落とされるのだ。おまえのうちで行われた力あるわざがソドムで行われていたら、ソドムは今日まで残っていたことだろう。おまえたちに言う。さばきの日には、ソドムの地のほうが、おまえよりもさばきに耐えやすいのだ。 「福音を聞く者の責任」 21節から24節までイエス様はご自分と弟子たちによって伝道された町々に対して、福音を拒否し、悔い改めなかった罪を追求しています。カペナウムにはイエス様の伝道の拠点があり、最も福音が多く語られた町です。ツロとシドンはレバノン領で、コラジンとベツサイダはカペナウム周辺の地域です。 これらの町々は、イエス様による奇跡を目撃しており、繰り返し、イエス様の教えを聞き続けていた町でした。それなのに、福音を拒否し、悔い改めもしなかったので、その罪は、聖書も知らない異邦人や、異教徒よりも重く、受ける裁きも重くなると語っておられます。 ここには、「受けた恵みが大きければ大きいほど、神様から問われる責任もそれだけ大きい」という真理が語られています。旧約聖書では、罪を犯した人が犠牲を捧げるとき、一般の人なら雌山羊一頭、つかさなら雄山羊一頭でしたが、祭司が罪を犯したときは雄の仔牛を捧げなければならないと規定されていました。 今、教会生活をしている私たちは、どれだけ与えられ、どれだけ神様のみことばへの責任を負っているでしょうか。今日までどれだけの恵みをを与えられ、従うべきみことばを与えられてきたでしょう。私たちはこのことを思って与えられる福音を心と生活に受け入れ、同時にそれを生涯守り続ける責任を自覚したいものです。 祝福を祈ります。