今日の聖句2月26日(土)\(^o^)/ 主は私の光私の救い。だれを私は恐れよう。 詩篇27:1 「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」 ヨハネ8:12 ************* 今週のテーマ:自由なイエス きょうの聖書:20:20-26 ルカの福音書20章22節〜25節 私たちがカエサルに税金を納めることは、律法にかなっているでしょうか、いないでしょうか。」イエスは彼らの悪巧みを見抜いて言われた。「デナリ銀貨をわたしに見せなさい。だれの肖像と銘がありますか。」彼らは、「カエサルのです」と言った。すると、イエスは彼らに言われた。「では、カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい。」 「神のものは神に」 イエス様を罠に掛け、告発する目的で「カエサルに税金を納めることは、律法にかなっているでしょうか、いないでしょうか」という質問が出されました。納税しなさい、と答えればパリサイ人から神と律法に背く裏切り者と呼ばれ、納税するな、と答えれば皇帝に対する謀反人として告発しようということです。どっちにも答えられない場面です。 その罠を見越したイエス様の回答が「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」でした。貨幣というものはそもそも、国家、或いは統治者が発行するもので発行者に所有権があります。ですから、カエサルの肖像と銘ががあるものはカエサルに返して当然ということです。 一方、神のかたちに造られた私たち人間は神の所有物ですから当然自分自身を神様に返さなければなければなりません。神様は万物の支配者であり、所有者ですから礼拝や献金も捧げるというよりは、むしろお返しする気持ちをもってしなければならないものと思います。 イエス様はこの罠的な質問を利用して、クリスチャンが国家や権力者など社会制度と神様を礼拝する信仰生活の間に生ずる様々な問題を想定して、国に対しては国に対するように、神様に対しては神様に対するように、それぞれ自然な当たり前のかたちで対応することを教えていて下さいます。 祝福を祈ります。