今日の聖句2月23日(水)\(^o^)/ どうか私の道が堅くされますように。あなたのおきてを守るために。 詩篇119:5 イエスは彼らに言われた。「わたしには、あなたがたが知らない食べ物があります。」 ヨハネ4:32 ************ 今週のテーマ:自由なイエス きょうの聖書:マルコ3:1-6 マルコの福音書3章3節4節5節 イエスは、片手の萎えたその人に言われた。「真ん中に立ちなさい。」それから彼らに言われた。「安息日に律法にかなっているのは、善を行うことですか、それとも悪を行うことですか。いのちを救うことですか、それとも殺すことですか。」彼らは黙っていた。イエスは怒って彼らを見回し、その心の頑なさを嘆き悲しみながら、その人に「手を伸ばしなさい」と言われた。彼が手を伸ばすと、手は元どおりになった。 「形式主義」 ある安息日にイエス様は会堂へ入られました。そこには片手が萎えた人とイエス様を告発しようと企んでいる人がいました。それを見たイエス様は片手の萎えた人を呼び、人々の真ん中に立たせました。イエス様が「手を伸ばしなさい」と言うと、手は元どおりになったということです。イエス様が癒してくださいました。 イエス様は告発者に「安息日に律法にかなっているのは、善を行うことですか、それとも悪を行うことですか。いのちを救うことですか、それとも殺すことですか」と前置きしていましたので彼らはその場を離れました。告発しようとしている人は出エジプト20:10「七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはいかなる仕事もしてはならない」という条文に違反しているというのです。 私たち現代のクリスチャンにはユダヤ教の安息日問題は無関係のように思われますが、実はクリスチャンもユダヤ人と同じような罪を犯すのです。それは、物事を律法主義的に考えて行動するということです。聖書の教の何々を守っているからこれで良い、聖書の教の何々を守らないから罪だと決めつけることです。 また、ユダヤ教の欠点は形式主義だという点にもありますが、クリスチャンも形式主義に陥り、形ばかりの信仰に陥ってしまうことはよくあることです。安息日問題は私たちに対して形式主義に陥ることを警戒させているのです。特に日本社会は極端な形式主義で動いているので、日本のキリスト教会はこの点で大きな注意が必要です。 祝福を祈ります。