今日の聖句2月22日(火)\(^o^)/ 聞け、王たち。耳を傾けよ、君主たち。私、この私は主に向かって歌う。イスラエルの神、主にほめ歌を歌う。 士師5:3 あなたがたの寛容な心が、すべての人に知られるようにしなさい。主は近いのです。 ピリピ4:5 ************* 今週のテーマ:自由なイエス きょうの聖書:マルコ2:23-28 マルコの福音書2章26節27節28節 大祭司エブヤタルのころ、どのようにして、ダビデが神の家に入り、祭司以外の人が食べてはならない臨在のパンを食べて、一緒にいた人たちにも与えたか、読んだことがないのですか。そして言われた。「安息日は人のために設けられたのです。人が安息日のために造られたのではありません。ですから、人の子は安息日にも主です。」 「安息日の救い」 ある安息日にイエス様は弟子たちと共に麦畑の中を歩いていました。弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めた時、それを見ていたパリサイ人がイエス様に「なぜ彼らは、安息日にしてはならないことをするのですか」と詰問したのです。それに対するイエス様の対応がきょうの聖書です。 イエス様はダビデがサウル王にいのちをつけ狙われていた時、宮に備えられていた臨在のパンを食べて一緒にいた人たちにも与えたという故事を実例にして安息日に麦の穂を摘むことも罪科として咎められることはないと断じたのです。ユダヤのおきてで、宮で働く祭司やレビは安息日の規定の対象外とされているのです。 ユダヤや社会では、神饌のパンを食べるのも安息日に収穫活動をするのも罪とされる場合がありますが、食べてよい場合もあり、働いても場合もあるのです。ここではイエス様は「安息日は人のために設けられたのです。人が安息日のために造られたのではありません。ですから、人の子は安息日にも主です」と判定して弟子たちの行動を無罪としました。 この出来事は、イエス様が弟子たちに、安息日とは、すべての行動と行為が禁じられているのではなく、すべての人に救いと解放が与えられる日であると教えているのです。人を救うための安息日ですから、安息日によって人が縛られてはならないという教えです。安息日は人を自由にする日です。 祝福を祈ります。