今日の聖句2月20日(日)\(^o^)/ あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。 創世記26:4 兄弟たち、あなたがたはイサクのように約束の子どもです。 ガラテヤ4:28 ************* 今週のテーマ:自由なイエス きょうの聖書:ピリピ2:6-11 ピリピ人への手紙2章6節7節8節 キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。 「謙卑の極み」 イエス様はご生誕の前から栄光に輝く神様でした。人間を罪と死の呪いから救うためにあえてみすぼらしい人間の姿で人間の世界に生まれてきたのです。神様は肉眼では見えないので、神様が人間にならなければ人間に神様を知らせることができないからです。 聖く気高い神様が人間になるということは、人間が汚い場所にいるウジ虫になるというようなことです。私たちはウジを救うためにウジの世界へウジのかたちになって生まれ、そのウジのために身代わりになって死ぬなどということはできませんが、イエス様はそれを見事にやってのけたのです。 私たちは謙遜な人に接すると、その人に良くできた人物、人格者、成熟した方などのことばで敬意を表します。謙遜であることは様々な徳目がある中で最も素晴らしい徳目です。イエス様の謙遜には「キリストの謙卑」という言葉があてられています。そして私たちはイエス様の謙遜なお姿を模範にし、お手本にして生きようとしているのです。 イエス様は永遠で無限、全知で全能、何処にでもいて何でもでき、完全自由をお持ちの神様です。イエス様はその自由を活用して、謙卑の極みを尽くしてくださいました。自由はわがままを言うための自由ではなく、神様のみこころを行う自由です。罪と死の呪いから解放された私たちにもイエス様の自由が与えられているのです。罪を悔い改め、神様を礼拝する自由です。 祝福を祈ります。