今日の聖句2月19日(土)\(^o^)/ 今、あなたがたは、自分たちの父たちのようにうなじを固くしてはなりません。主に服従しなさい。 2歴代誌30:8 神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう。 ルカ14:15 ************** 今週のテーマ:イエスの輝き きょうの聖書:へブル2:10-18 へブル人への手紙2章17節18節 神に関わる事柄について、あわれみ深い、忠実な大祭司となるために、イエスはすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それで民の罪の宥めがなされたのです。イエスは、自ら試みを受けて苦しまれたからこそ、試みられている者たちを助けることができるのです。 「人となられた神」 へブル人への手紙はへブル人つまりユダヤ人に向けて書かれた書簡です。著者名は明らかにされていません。ユダヤ人は、イエス様をメシヤであると認めることができないという大きな問題を持っています。著者はこの書簡でイエス様こそ旧約聖書で予言されていたメシヤ=キリストであると力説しています。 特にユダヤ人に理解できないことは、ナザレ村出身の大工が救い主であるということです。人間が「神である」と名乗ることは冒とく罪の極みであり、そのような大罪を犯す人物を救い主として受け入れることは断じてできないということです。へブル書には、イエス様はあえて人間として生まれたのだという主張が色濃く表れています。 三位一体の神ということも聖霊によらなければ理解できないことですが、一人の人が「人であり同時に神である」ということを信じることはもっと難しいことなのです。世間に出回っている書物のほとんどはイエス様を「偉人」として紹介しています。それが人間の理解の限度なのかもしれません。 「人となられた神」という表現があります。イエス様は元々神だったのですが、人間を救うためにはどうしても人間にならなければならなかったのだということです。そうでなければ人間の弱さを体験し、人間の痛みと苦しみに同情できないからです。「無罪なのに殺される」という苦しみを味わったイエス様こそ私たちの最大最高の理解者であり、救済主なのです。 祝福を祈ります。