今日の聖句2月13日(日)\(^o^)/ だれが、この方の来られる日に耐えられよう。だれが、この方の現れるとき立っていられよう。 マラキ3:2 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。 黙示録3:20 *********** 今週のテーマ:イエスの輝き きょうの聖書:マルコ9:2-8 マルコの福音書9章2節3節4節 それから六日目に、イエスはペテロとヤコブとヨハネだけを連れて、高い山に登られた。すると、彼らの目の前でその御姿が変わった。その衣は非常に白く輝き、この世の職人には、とてもなし得ないほどの白さであった。また、エリヤがモーセとともに彼らの前に現れ、イエスと語り合っていた。 「栄光に輝く神の王子」 変貌山と呼ばれるところです。みすぼらしい苦難のメシヤの姿こそ仮の姿であるイエス様が本来の栄光に輝く神の王子としてのお姿に戻られた場面です。神様は人類の罪のためにイエス様の上に重く下ろしていた怒りの御手を取りのけられたのです。 神様はイエス様にもう一度、神の王子、決定権を持つ自由な立場で、十字架の道を取るか取らぬかを選び直させようとしているわけです。モーセとエリヤが現れてイエス様と話し合っていますが、話の内容はもちろん十字架の死についてです。旧約聖書の著者と面談して検討しているのです。 神の御子がご自分の本来のかたちでもう一度自由に考え直した結果、やはり受難と十字架の道をとることが聖書的に正しいと決意されたのです。それは私たちへの愛のためです。私たち一人一人を救うために神の王子は自発的に愛の決断を下されました。 今「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。」(ヨハネ15:9)と語られるイエス様の愛の迫りを感じます。私たちはイエス様が神であり同時に人間であると承知していますが、ペテロとヤコブとヨハネが面前で、神であり人間であるイエス様を拝したとの証言を残してくれたことは私たちの信仰に大きな影響を与えています。 祝福を祈ります。