今日の聖句1月12日(水)\(^o^)/ 主はまことの神、生ける神、とこしえの王。 エレミヤ10:10 天地の主であられる父よ、あなたをほめたたえます。あなたはこれらのことを、知恵ある者や賢い者には隠して、幼子たちに現してくださいました。 マタイ11:25 ************* 今秋のテーマ:若き日に きょうの聖書:2コリント4:16-18 コリント人への手紙第二4章16説17節18節 私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。私たちの一時の軽い苦難は、それとは比べものにならないほど重い永遠の栄光を、私たちにもたらすのです。私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。 「日々新たに」 キリストを信仰している人は落胆しません。落胆とは、希望通りに事が進まず、がっかりして力を失うことです。希望通りに事が進まないことはしばしばです。希望通りに事が進むことは稀です。しかし、キリストへの信仰は日々新しくされ、生きる意欲と力は日ごとに増し加えられるからです。 それにはキリストが復活したという大きな理由があります。キリストは死んでも生きたのです。これは事実です。そして復活したキリストから新しいいのちと力を受け、キリストと同じように復活できるという確信があるので、失敗しようが、体力が衰えようが、そんなことには左右されずに生きられるのです。 キリストの再臨の約束も私たちの力の源です。再臨への信仰は私たちの人生を確実なものにする堅固な土台であり、私たちの人生をふらつかせない錨の働きをしています。私たちの人生は、手持ちの財産とか、たくましい健康とか、地位や名誉とかそのようなものには支配されず、ただ、共にいて愛してくれるキリストのみによるのです。 その結果、私たちの心には山の中から湧水が湧きだしてくるように喜びが湧きだし、嬉しさがこみ上げてくるのです。キリストから授かった聖霊によって私たちの心には信仰と希望と愛が尽きることがありません。日常生活の中で起こる多少の苦しみを帳消しにして余りある神様からの祝福が豊かにあるからです。今日も一日ハレルヤ・ハレルヤでいきましょう。 祝福を祈ります。