今日の聖句12月28日(火)\(^o^)/ 民は答えた。「私たちが主を捨てて、ほかの神々に仕えるなど、絶対にあり得ないことです。 ヨシュア24:16 愛する者たち。あなたがたは自分たちの最も聖なる信仰の上に、自分自身を築き上げなさい。聖霊によって祈りなさい。神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに導く、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。 ユダ1:20-21 ************* 今週のテーマ:感謝 きょうの聖書:詩篇124:1-8 詩篇124篇1節〜4節 「もしも主が私たちの味方でなかったなら。」さあイスラエルは言え。「もしも主が私たちの味方でなかったなら人々が敵対してきたときそのとき彼らは私たちを生きたまま丸呑みにしていたであろう。彼らの怒りが私たちに向かって燃え上がったとき、そのとき大水は私たちを押し流し濁流は私たちを越えて行ったであろう。 「主が味方」 この詩篇はダビデが作りました。ダビデの一生は戦いの連続であり、周辺隣国との戦い、家庭内不和、家臣団の裏切りが絶えることがありませんでした。そしてダビデはこの詩篇で、神様の助けがなかったら自分は滅びていたはずだと言っています。すべて私たちは神様の憐れみによって生かされているのです。 私がしみじみ思うことは、61年間運転し続けている中で何度もニアミスをしましたが、人命にかかわる大事故を一度も起こさなかったということが神様の憐れみのおかげだということです。若いころは生かされているとは考えられなかったのでずいぶん乱暴なことをしてしまいました。 パウロは「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう」(ローマ8:31)と言って神様が味方であることを感謝しています。私たちは主に敵対していた者であるのにかかわらず、主が私たちの味方となって私たちを守り続けていてくださったのです。 私たちは10年前に東北で大水が濁流となって人々を呑み込んでいく有様を目撃しました。ダビデの一生も大水の濁流の中にあったのです。キリストに頼るという信仰を授けられなければ私たちも押し流されて地獄のどん底に突き落とされていたに違いありません。主が味方であることほどありがたい話はありません。 祝福を祈ります。