今日の聖句12月13日(月)\(^o^)/ 虐げられる者が辱めを受けて帰されることがなく苦しむ者貧しい者が御名をほめたたえますように。 詩篇74:21 近所の人たちや親族は、主がエリサベツに大きなあわれみをかけてくださったことを聞いて、彼女とともに喜んだ。 ルカ 1:58 ***************** 今週のテーマ:神の意志の現れ きょうの聖書:ヨハネ7:14-24 ヨハネの福音書7章15節16説17節 ユダヤ人たちは驚いて言った。「この人は学んだこともないのに、どうして学問があるのか。」そこで、イエスは彼らに答えられた。「わたしの教えは、わたしのものではなく、わたしを遣わされた方のものです。だれでも神のみこころを行おうとするなら、その人には、この教えが神から出たものなのか、わたしが自分から語っているのかが分かります。 「みことばの受け止め方」 仮庵の祭りです。イエス様は「わたしの時がまだ満ちていないからです」と言われ、十字架のためにはエルサレムに上りませんでしたが、教えるために行きました。祭りの中ころ、宮で教え始めたときのことです。ユダヤ教指導者達はイエス様が正規の学びをしていないのに人に教えているとして誤批判をしました。 イエス様は「わたしの教えは、わたしのものではなく、わたしを遣わされた方のものです。」と語られ、「御父からの教えを教えているのです」と反論されました。イエス様は正規の学びが無いどころか、御父から直接教えを聞いて人々に教えていたのです。事実誤認は誤批判と誤審、つまり「裁きという罪」の原因です。正確な事実確認は何をするにも大切なことです。 聖書を教える場合、独創的であるよりも聖書の教えの主旨に沿っているかどうかが問題です。この点に於いても事実の確認は必要です。神様に教えられながら説教するという姿勢がないと何処でどうずれていくか分かりません。自分勝手な解釈で人に教えるということは決してあってはならないことです。 聖書や説教を正しく受け止めるためには、「うわべによって」判断してはならない、ということが第一です。第二は聖書の語る意図、説教の主旨に沿って聞くことが大切です。第三番目には神様に従っていきたいという気持ちを持って聖書を読み、説教を聞くことです。聖書を読んで分かったら信じる、というのでなく、まず信じる、そして読めばだんだん分かってくるというものです。 祝福を祈ります。