今日の聖句12月9日(木)\(^o^)/ 主の日は偉大で、非常に恐ろしい。だれがこの日に耐えられるだろう。「しかし、今でも─主のことば─心のすべてをもって、断食と涙と嘆きをもって、わたしのもとに帰れ。」 ヨエル2:11-12 主人が婚礼から帰って来て戸をたたいたら、すぐに戸を開けようと、その帰りを待っている人たちのようでありなさい。 ルカ12:36 ************** 今週のテーマ:降誕がもたらされた人々 きょうの聖書:ルカ1:67-80 ルカの福音書1章68節〜79節 「ほむべきかな、イスラエルの神、主。主はその御民を顧みて、贖いをなし、救いの角を私たちのために、しもべダビデの家に立てられた。 古くから、その聖なる預言者たちの口を通して語られたとおりに。 この救いは、私たちの敵からの、私たちを憎むすべての者の手からの救いである。 主は私たちの父祖たちにあわれみを施し、ご自分の聖なる契約を覚えておられた。 私たちの父アブラハムに誓われた誓いを。 主は私たちを敵の手から救い出し、恐れなく主に仕えるようにしてくださる。 私たちのすべての日々において、 主の御前で、敬虔に、 正しく。 幼子よ、あなたこそいと高き方の預言者と呼ばれる。主の御前を先立って行き、その道を備え、罪の赦しによる救いについて、神の民に、知識を与えるからである。 これは私たちの神の深いあわれみによる。そのあわれみにより、曙の光が、いと高き所から私たちに訪れ、暗闇と死の陰に住んでいた者たちを照らし、私たちの足を平和の道に導く。」 「ベネティクト」 きょうの聖書はベネディクトと呼ばれているザカリヤの賛美です。この詩の冒頭に「ほむべきかな」という言葉があり、これが原語でベネディクトなのです。英語ではプレイズまたはブレストと訳され、日本語では、ほむべきかなとなっているのです。6世紀になってイタリヤで「ベネディクト」が人名として使われるようになり、その名の人がローマ法王に就任するようになりました。 74節に、「主は私たちを敵の手から救い出し、恐れなく主に仕えるようにしてくださる」という句があります。ザカリヤは「疑い」という罪のために耳と口をふさがれていましたが、ここでその縛りから解放されて一気に救い主の恵みを高らかに賛美したのです。 主に仕えるべきものが解放されて主に仕えることのできる喜びです。76節で「幼子よ、あなたこそいと高き方の預言者と呼ばれる。主の御前を先立って行き、その道を備え、罪の赦しによる救いについて、神の民に、知識を与えるからである」と歌って、救い主による罪の赦しという救いが全人類に将来の姿を描いています。 ザカリヤは我が子が救い主に仕えることになるのを感謝しています。私たちが救われたのも感謝と賛美をもって主に仕えるためです。 祝福を祈ります。