今日の聖句11月22日(月)\(^o^)/ 見よ。良い知らせを伝える人の足が、平和を告げ知らせる人の足が山々の上にある。 ナホム1:15 神は、キリストによって私たちをご自分と和解させ、また、和解の務めを私たちに与えてくださいました。 2コリント5:18 **************** 今週のテーマ:イエスのさばき きょうの聖書:マタイ25:31-46 マタイの福音書25章31節〜34節 人の子は、その栄光を帯びてすべての御使いたちを伴って来るとき、その栄光の座に着きます。そして、すべての国の人々が御前に集められます。人の子は、羊飼いが羊をやぎからより分けるように彼らをより分け、羊を自分の右に、やぎを左に置きます。それから王は右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世界の基が据えられたときから、あなたがたのために備えられていた御国を受け継ぎなさい。 「キリストへの愛」 キリストは再臨の日に羊飼いが羊と山羊を選り分けるように、真のクリスチャンと偽クリスチャンを選り分けると宣言しています。私たちはイエス・キリストの十字架の死と復活によって救われた「救いの喜び」から、支援的に生き、知らず知らずのうちに教会の内にも外にも、支援の手、ケアの手を差し伸べるようになります。 それが、一死をもって私たちを救って下さったイエス・キリストへの信仰の具体的現れになるのです。私たちの善行は「最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです」(マタイ25:40)と言われている通り、イエス様に対するものなのです。それがないと最後は迷いと滅びになるのです。 愛の奉仕は水や食べ物、宿所や衣類の提供、に始まり病気見舞いや刑務所への訪問と共に、相手の霊的成長に仕えていくことに続いていきます。悲しむ感情を共有して生き、問題や課題を共有し、解決の課程を共有し、解決の結果としての喜びをともにしていくことで実践できることです。何事も他人事と思わず、我が事として対処することです。 イエス様は人間の問題である「罪」を他人事とせず、我が事として受け止めて御自分でその重荷を引き受けて下さいました。そのイエス様に倣って生きていくことこそ神の御国の相続権の確保になるのです。口先だけであったり、形式だけであったりでは命を投げ出して下さったイエス様に申し訳が立ちません。キリストと愛の十字架を共有する真のクリスチャンとして生きていきましょう。 祝福を祈ります。