今日の聖句11月16日(火)\(^o^)/ エリはサムエルに言った。「行って、寝なさい。主がおまえを呼ばれたら、『主よ、お話しください。しもべは聞いております』と言いなさい。」サムエルは行って、自分のところで寝た。 1サムエル3:9 リディアという名の女の人が聞いていた。ティアティラ市の紫布の商人で、神を敬う人であった。主は彼女の心を開いて、パウロの語ることに心を留めるようにされた。 使徒16:14 ************* 今週のテーマ:収穫の感謝 きょうの聖書:申命記14:22-29 申命記14章22節23節 あなたは毎年、種を蒔いて畑から得るすべての収穫の十分の一を、必ず献げなければならない。主が御名を住まわせるために選ばれる場所、あなたの神、主の前であなたの穀物、新しいぶどう酒、油の十分の一、そして牛や羊の初子を食べなさい。あなたが、いつまでも、あなたの神、主を恐れることを学ぶためである。 「十一は礼拝」 ここには、一年間の総収入の十分の一を神様に献げなさいさいという大事な命令があります。その捧げものの根拠は神様の愛と恵への感謝です。神様は天地の創造者であり、被造物すべて、畑も産物も私たちのいのちもを所有しているお方です。所有権だけでなく、決定権も、生殺与奪の権威も神様のものです。 罪深い存在である私たちのいのちが保たれ、毎年収穫が与えられていることは神様の大きな憐れみによることです。この十分の一の献げものを感謝して献げることは私たちが神様の主権を最大限に高く崇める姿勢を示すことになるのです。これによって私たちは信仰と礼拝を具体的に現すことができるのです。 「十分の一の献げもの」を省略して「十一」といいます。十一によって私たちは主を恐れることを学ぶことができるのです。神様に対する謙遜を学ぶことができ、キリストを手本として生きるクリスチャンの根本を体で勉強できるということです。神様だけでなく日本の政府もクリスチャンの十一を礼拝行為として認めています。 高額所得者であっても、特に低所得者にとっては十一は命がけの行為です。レプタ二枚献げた女性の信仰をイエス様が認めて高く評価されたように、真剣に十一を献げる人は、自分でも想像できないほどの大きな祝福を神様から頂くことができます。全生涯にわたって神様の喜びに満たされる人生を送れるということです。 祝福を祈ります。