今日の聖句10月31日(日)\(^o^)/ 主であるわたしが語り、わたしが語ったことを実現し、決して引き延ばさないからだ。 エゼキエル12:25 神の国は、ことばではなく力にあるのです。 1コリント4:20 **************** 今週のテーマ:神が求められること きょうの聖書:ルカ18:9-14 ルカの福音書18章13節14節 取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神様、罪人の私をあわれんでください。』あなたがたに言いますが、義と認められて家に帰ったのは、あのパリサイ人ではなく、この人です。だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるのです。 「憐れみを求める事」 これはイエス様が語られた神様から義と認められる人の姿です。パリサイ人と取税人の二人が同時に祈ったという設定です。パリサイ人は自分は正しいと自認している人、取税人はユダヤ社会から罪びととして扱われている人です。パリサイ人は祈りの中で自分の正しさを神様に訴えました。 取税人は「神様、罪人の私をあわれんでください」と自分の正しさを主張しないばかりか、自分の罪を認めて神様に憐れみを求めたのです。多くの人は自分の正しさをもって神様に認められようとするのですが、現実には神様の御前で完璧に正しいと言い切れる人はいません。 人は、多かれ少なかれ罪は犯しています。特に心の中での罪は隠せないほど多いのです。正しいお方は神様だけですから、その神様の前で「私は正しい」と言えば、逆に、神様の方が悪いと主張していることになってしまいます。もし人が正しいならキリストが十字架で犠牲になる必要がないのです。 この取税人の姿はほぼ全世界のすべての人の実態です。ですから、すべての人がこの取税人の様に「神様、罪人の私をあわれんでください」と祈らなければならない立場なのです。ここに、イエス様から「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるのです」という約束が与えられています。遜って憐れみを求める人として生きていきたいと思います。 祝福を祈ります。