今日の聖句10月16日(土)\(^o^)/ 主よ。まことに、あなたのさばきの道で私たちはあなたを待ち望みます。 イザヤ26:8 私たちはみな、善であれ悪であれ、それぞれ肉体においてした行いに応じて報いを受けるために、キリストのさばきの座の前に現れなければならないのです。 2コリント5:10 *************** 今週のテーマ:交わりの崩壊 きょうの聖書:詩篇8:1-9 詩篇8篇3節4節5節 あなたの指のわざであるあなたの天あなたが整えられた月や星を見るに、人とは何ものなのでしょう。あなたが心に留められるとは。人の子とはいったい何ものなのでしょう。あなたが顧みてくださるとは。あなたは人を御使いよりわずかに欠けがあるものとしこれに栄光と誉れの冠をかぶらせてくださいました。 「ダビデの謙遜」 この詩篇はダビデがゴリアテを倒した時のことを思いだしながら書いたものかもしれません。ダビデは天地の創造者である神様の栄光と力を褒めたたえつつ、神様の似姿として造られた人間のすばらしさを歌っています。また、ダビデは神様が自分と自分を含む人間に心を留め、かつ、顧みてくださることに対して感激しています。 ダビデの信仰には神様への謙遜と、他の人への配慮が伴っています。ダビデの発言と行動には幼少期から晩年に至るまで、神様と隣人へのヘリ下りがうかがえるのです。それがダビデが神様の祝福を受け、人々からの尊敬を受ける要因だと感じます。ダビデは苦しい時には神様にすがり、嬉しい時には神様に感謝し、心が神様から離れることはありませんでした。 ダビデの生涯は神様との交わりが途切れることがなかったのです。それはダビデが神様の主権を高く尊重して崇めていたからです。ダビデは神様に対して自分の権利を主張しませんでした。とりわけ、事の決定に対してはすべてを神様にお任せしていたのです。略奪隊に襲われて手下から投石を受けた時にも、追撃戦に出ても良いですかと神様にお尋ねしていました。 私たちの人生では、神様との交わり、隣人との交わりは必要不可欠です。生きるために水と空気と食べ物が必要なのと同じ程度で良い交わりの中で生きることが大事なのです。ダビデの信仰の姿勢から学ぶべき点は多々ありますが、その中でもダビデの謙遜こそ私たちが学び取り、私たちの信仰生活の中で生かしていかなければならないものだと思います。私は今日、改めて自分が謙遜になれるようにイエス様にお祈りします。 祝福を祈ります。