今日の聖句9月29日(水)\(^o^)/ 主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ、主の恵みの年、われらの神の復讐の日を告げ、すべての嘆き悲しむ者を慰めるために。 イザヤ61:1-2 御使いは彼女に言った。「恐れることはありません、マリア。あなたは神から恵みを受けたのです。」 ルカ1:30 **************** 今週のテーマ:献げもの きょうの聖書:2コリント8:1-7 コリント人への手紙第二8章2節3節4節 彼らの満ちあふれる喜びと極度の貧しさは、苦しみによる激しい試練の中にあってもあふれ出て、惜しみなく施す富となりました。私は証しします。彼らは自ら進んで、力に応じて、また力以上に献げ、聖徒たちを支える奉仕の恵みにあずかりたいと、大変な熱意をもって私たちに懇願しました。 「献げる喜び」 パウロはマケドニヤ教会の献金を例に挙げてコリント教会に献げる喜びを教えています。マケドニヤ教会はギリシヤ北部の教会でコリント教会はギリシヤの南部の教会です。パウロはマケドニヤ伝道の後コリントに伝道しました。マケドニヤの人々はまだ聞いたことのないキリストの福音を熱心に求めていたのでパウロは優先的にマケドニヤに行ったという経緯もあります。 救われたマケドニヤの信者たちはパウロに「聖徒たちを支える奉仕の恵みにあずかりたいと、大変な熱意をもって私たちに懇願した」というのです。それは献金させてくださいと強く頼んだということです。マケドニヤが裕福で献金する余力があったわけではありません。自分たちの生活よりも福音宣教を重要なこととして優先したということです。 マケドニヤ教会の信仰は、「極度の貧しさは、苦しみによる激しい試練の中にあってもあふれ出て、惜しみなく施す富となりました」と言われています。それは、イエス・キリストによって救われたことが嬉しくてたまらないということです。雪が降り積もる極寒の地に、決して凍ることのない熱い温泉が湧きだしているところが在ります。 そのように、人を死亡させるほどの貧しさと苦しみの中でも、キリストの愛が温泉の様に湧きだすのです。その素晴らしい福音宣教を支援したいという熱意がマケドニヤには有るのです。パウロはコリント教会にもその恵みを受け取ってもらいたいと語っているのです。クリスチャンにとって献金することは大きな喜びなのです。 祝福を祈ります。