今日の聖句9月27日(月)\(^o^)/ 主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ、主の恵みの年、われらの神の復讐の日を告げ、すべての嘆き悲しむ者を慰めるために。 イザヤ61:1-2 御使いは彼女に言った。「恐れることはありません、マリア。あなたは神から恵みを受けたのです。」 ルカ1:30 ************** 今週のテーマ:献げもの きょうの聖書:レビ27:30-33 レビ記27章30節31節32節 地の十分の一は、地の産物であれ木の実であれ、すべて主のものである。それは主の聖なるものである。しかし、もしも人がその十分の一の一部を買い戻したいのであれば、それにその五分の一を加える。牛や羊の十分の一については、牧者の杖の下を通る十番目ごとのものが主の聖なるものとなる。 「十分の一の献げもの」 全天全地に存在するすべての物は主である神様によって創造されたのであり、すべては造り主である神様の所有です。私たち人間も神様によって造られた存在であり、水も空気も、私たちが立っている大地も神様の物です。私たちが、これは私の物ですと言えるものは何もありません。 農家が汗水たらして耕作して収穫した実りも神様が実らせたものなのです。私たちには麦の実一つ作ることはできないわけです。庭で茄子を作ったと言っても花を咲かせ実を結ばせたのは神様です。私たちは神様の所有物を拝借して生きているに過ぎません。それで神様は私たちに十分の一を返しなさいとお命じになっているのです。 この神様の御要求は、私たちに対する信仰の指導でもあります。創造者である神様の所有権、神様の支配権、神様の決定権など神様の主権を私たちに学ばせるためです。神様がすべての物の造り主であり、すべての物を生かしているいのちの主であるということを私たちに勉強させてくださるのが十分の一の献げものの意味なのです。 現実に神様を創造者として礼拝している人々に注がれる愛と恵は計り知れません。その人々の生活には感謝と喜びが尽きることがないのです。家庭は祝福されて家族の間には一致があたえられ、産業は祝福されて豊かな食べ物に満たされます。常に癒しと回復がもたらされ、前途が途絶えることがないのです。神様の栄光をたたえて賛美すること、それが神様への献げものの実態なのです。 祝福を祈ります。