今日の聖句9月26日(日)\(^o^)/ 主は目の見えない者たちの目を開け、主はかがんでいる者たちを起こされる。 詩篇146:8 また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しにより与えられる望みがどのようなものかを、知ることができますように。 エペソ1:18-9 ************** 今週のテーマ:献げもの きょうの聖書:マルコ12:41-44 マルコの福音書12章42節43節44節 一人の貧しいやもめが来て、レプタ銅貨二枚を投げ入れた。それは一コドラントに当たる。イエスは弟子たちを呼んで言われた。「まことに、あなたがたに言います。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れている人々の中で、だれよりも多くを投げ入れました。皆はあり余る中から投げ入れたのに、この人は乏しい中から、持っているすべてを、生きる手立てのすべてを投げ入れたのですから。」 「心を込めて」 イエス様が神殿で献金箱を見えるところに座り、人々が献金する様子を見ていました。貧しいやもめが来て2レプタを投入しました。それを見たイエス様は、この女性は「だれよりも多くを投げ入れました」と言われたのです。1レプタは日当の128分の1で、今の東京の貨幣価値に換算すると50円くらいです。 2枚で100円ですからセブンイレブンのおにぎり1個買えるだけです。それがこの女性の手持ち金のすべてでした。子どももいたかもしれませんが、自分と子どもの命を神様に委ねてしまったということになります。イエス様はこの女性の信仰をとても高く評価してくださいました。 私の知っている人で毎週10000円ずつ礼拝献金を献げ、30万円ずつ十一献金を献げている人がいました。でもこの人の財産は五十億円余りだったのです。この場合、献金は150分の1位に当たります。ですから割合的にはこの女性は金持ちの献金の何百倍にもなるわけです。 献金は信仰の現れであり、献金は祈りです。献金は伝道であり、献金はいのちです。イエス様は私たちの心である献金を見ています。ですからイエス様を信じる信仰と、イエス様に頼って生きる信頼の気持ちを込めて献金することが必要なのです。1円玉を献金することが悪いわけではありませんが、そこにはキリストを信頼して生きる姿が現れないのです。心を込めて祈り、心を込めて献金したいと思います。 祝福を祈ります。