今日の聖句9月25日(土)\(^o^)/ ほかの神々に従い、それに仕え、それを拝んではならない。あなたがたが手で造った物によって、わたしの怒りを引き起こしてはならない。 エレミヤ25:6 この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手で造られた宮にお住みにはなりません。また、何かが足りないかのように、人の手によって仕えられる必要もありません。神ご自身がすべての人に、いのちと息と万物を与えておられるのですから。 使徒17:24-25 ************** 今週のテーマ:勧告 きょうの聖書:ヤコブ4:1-10 ヤコブの手紙4章8節9節10節 神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪人たち、手をきよめなさい。二心の者たち、心を清めなさい。嘆きなさい。悲しみなさい。泣きなさい。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えなさい。主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高く上げてくださいます。 「遜りの勧め」 へりくだりなさいという命令です。へりくだりの逆は「おごり」です。おごりは高ぶりです。おごり高ぶるという大きな罪があります。その罪に陥った人は心が汚れ、神様の存在に気が付かなくなります。おごり高ぶりは傲慢不遜とも言われます。私はたちが最も陥りやすい罪です。自分の罪こそ悲しむべきことです。 神の近づきなさいと言われています。私たちは祈って神様に近づくのですが、神様の存在を否定しいる罪びとならば、祈ることはできませんので、善を行う以外に道はありません。神様の怒りと裁きを避けて救われるためには、謙遜になって善を行うことです。悪から離れて善に近づくなら神様はその人に近づいてくださいます。 おごり高ぶりという罪に陥ると、まず第一に何をしても面白くないという気持ちになります。心に恵みと祝福を受けられなくなるのです。不愉快という気持ちが心に満ちてしまいます。心爽やかに喜びをもって生きるということができなくなります。次に自分の悪い欲望を満たすようになり、他の人にトラブルを仕掛けるようになっていきます。 遜りの人生を生き、遜りの模範となられたのかがイエス様です。イエス様は神様に対して徹底的に遜りました。遜りの極みが十字架だったのです。傲慢不遜な私たちを謙遜な神の子に造り替えるための十字架だったのです。私たちにはキリストを手本にして生きる道が遺されました。遜って善行に向かって生きていきたいと思います。 祝福を祈ります。