今日の聖句9月11日(土)\(^o^)/ 主があなたがたの前を進み、イスラエルの神がしんがりとなられるからだ。 イザヤ52:12 わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。 ヨハネ14:3 ************** 今週のテーマ:老いの栄え きょうの聖書:申命記34:1-8 申命記34:5節6節7節 こうしてその場所で、主のしもべモーセは主の命によりモアブの地で死んだ。主は彼を、ベテ・ペオルの向かいにあるモアブの地の谷に葬られたが、今日に至るまで、その墓を知る者はいない。モーセが死んだときは百二十歳であったが、彼の目はかすまず、気力も衰えていなかった。 「天への凱旋」 出エジプトの旅はモーセの死によって終わります。モーセはこのとき120歳でしたが、その目はかすまず、気力も衰えていなかったということです。モーセが天に召された場所はネボ山であるとされています。これは、エリコのヨルダン川を挟んだ対岸にある山です。埋葬地は誰にも知られてはいませんがはるか南のモアブの谷です。 まだまだ神の僕として働く力が十分にあったようですが、モーセはイスラエルの民を祝福する祈りを捧げ、神様から命じられるままにネボ山に登りました。乳と密の流れる約束の国カナンへあと一足で入れるというこの場所で神様はここでモーセに天国への召還を命じました。 モーセにも心残りはあったでしょうが、彼の死は天の御国への召しであり、天への凱旋でした。モーセはこの召しに優る召しはないと考えていました。地上のカナンより天のカナンでの安息の方がはるかに優ることを知っていたのです。民の不服従のために自分がカナンに入れなかったなどとは考えていないのです。 事実、モーセは神様からの「わたしの民、イスラエルの子らをエジプトから導き出せ」(出3:11)という御命令に対して完全に使命を達成していたのです。モーセもまた、「私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です」(ピリピ1:21)という信仰の境地に達していたのです。私たちも天命を達成して立派に天の御国へ帰って行きたいと思います。 祝福を祈ります。