今日の聖句8月28日(土)\(^o^)/ わたしは彼らに一つの心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしは彼らのからだから石の心を取り除き、彼らに肉の心を与える。 エゼキエル11:19 この約束は、あなたがたに、あなたがたの子どもたちに、そして遠くにいるすべての人々に、すなわち、私たちの神である主が召される人ならだれにでも、与えられているのです。 使徒2:39 *************** 今週のテーマ:イエスの御名 きょうの聖書:ピリピ3:1-11 ピリピ人への手紙3章8節9節 私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、私はすべてを損と思っています。私はキリストのゆえにすべてを失いましたが、それらはちりあくただと考えています。それは、私がキリストを得て、キリストにある者と認められるようになるためです。私は律法による自分の義ではなく、キリストを信じることによる義、すなわち、信仰に基づいて神から与えられる義を持つのです。 「いらないものは捨てる事」 私たちは日々の生活の中で「人生の値打ち」というものを考えることがあります。パウロの周辺の人々の中には、自分がアブラハムの子孫であることを誇りにする人がいたようです。逆に、自分がユダヤ人でないことを卑下する人もいたらしいのです。しかし、先祖が立派ならその人の人生も立派であるとは言えません。 パウロは、信仰に基づいて神から与えられる義を持っていたので、自分の系図や聖書知識の多さ、ユダヤ教の礼拝規定を守っていることなどは無価値なものだと考えていました。また、そのようなものを持っていることは価値がないばかりか、損であるとも考えていたのです。パウロにとっても私たちにとってもキリストとキリストに信頼して生きることが何より素晴らしいことなのです。 イエス・キリストは私たちの存在を何より価値の高いものであると考えていてくださいます。ですから、私たちを救い私たちを幸福にするために、私たちの罪の身代わりになって十字架で死んでくださったのです。天地の創造者であるお方から「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」と言われることは無上の喜びになるのです。 キリストから愛されていることのすばらしさを心で味わいながら、それ以外の誇りや自慢の種を捨てて、単純にキリストを賛美しながら生きる人生に向かって行きたいと思います。単純になればなるほど私たちの人生は透明になり、キリストによって光と輝きを放てるのです。これは捨てられないと思うものを何か一つ今日は捨ててみませんか。 祝福を祈ります。