今日の聖句8月21日(土)\(^o^)/ 彼らが呼ばないうちに、わたしは答え、彼らがまだ語っているうちに、わたしは聞く。 イザヤ65:24 私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。 ローマ5:8 *************** 今週のテーマ:神をたたえる きょうの聖書:1コリント1:4-9 コリント人への手紙第一1章6節〜9節 キリストについての証しが、あなたがたの中で確かなものとなったからです。その結果、あなたがたはどんな賜物にも欠けることがなく、熱心に私たちの主イエス・キリストの現れを待ち望むようになっています。主はあなたがたを最後まで堅く保って、私たちの主イエス・キリストの日に責められるところがない者としてくださいます。神は真実です。その神に召されて、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられたのです。 「最後まで」 キリストについての証が確かなものになるとは、コリント教会の信者の救いが確実なものになったという意味です。その結果「どんな賜物にも欠けるところがなく」「責められるところのない者」されていることをパウロが喜んでいるのです。キリストを信頼し、恵みが届けられた状態をパウロはこのように表現しています。 私たちにはキリストが共におられるわけだから、賜物に欠けることはないし、キリストが私たちのいのちと存在のすべてを包み込んでくださっているわけだから、非のうちどころはないのだというのです。包まれているのですから間違いはないのです。それを実感できることが私たちの人生の勝利です。 生きている限り私たちは、足りなさを感じることがあるし、自分の中に、「責められるところ」があることを経験します。ただ、主キリストとの交わりによって、それらの悩みや迷い、不足感は取り扱われ、乗り越えることができるのです。それを成し遂げてくださったのがイエス・キリストです。 パウロはまた、神様のことを「最後まで堅く保ってくださる方」「神は真実なお方」「キリストとの交わりに入れてくださる方」であることを教えています。これらのことを理性で理解するだけでなく、体験的に心と肌で感じられるようにされていることが何よりうれしいことです。主は素晴らしい! 祝福を祈ります。