今日の聖句8月8日(日)\(^o^)/ あなたは他国人の騒ぎを押さえ、濃い雲の陰になってしずまる暑さのように、横暴な者たちの歌はしずめられます。 イザヤ25:5 主は、御腕をもって力強いわざをなし、心の思いの高ぶっている者を追い散らし、権力ある者を王位から引き降ろされます。 ルカ1:51-52 *************** 今週のテーマ:平和 きょうの聖書:ヨハネ10:16-18 ヨハネの福音書10章17節18節 わたしが自分のいのちを再び得るために自分のいのちを捨てるからこそ、父はわたしを愛してくださいます。だれも、わたしからいのちを取った者はいません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、それをもう一度得る権威があります。わたしはこの命令をわたしの父から受けたのです。」 「積極人生と平和」 ここに、十字架に向かって進むイエス様の力強い平和が言い表されて居てます。イエス様の平和は、自分から進んでいのちを捨て、永遠の救いを成し遂げる平和です。自分からいのちを捨てますが、決して自殺ではありませ。自分から進んで十字架に掛かるという意味です。嫌々ではなく、強制されてでもなく神様の救いの完成を求めて十字架に向かうということです。 イエス様は十字架の死に直面しているのですが、その心は全き平安に包まれています。十字架で殺されるわけですから戦いがないわけではありません。そもそも、イエス様はイザヤが預言したように、人々の罪を背負って十字架に付くのですから、ビクビクも、オドオドもしません。イエス様にとっては十字架で死ぬことは目的達成の勝利なのです。 イエス様はいのちを捨てる権威を持っています。並の人間が十字架に付いたからといって、それが世界の救いになるはずはありません。神様の御子であり、一度も罪を犯したことのない、御子であるキリストだからこそ、その死に力があり、意味と価値があるのです。ですからイエス様は正々堂々と十字架でいのちを捨てられるのです。 イエス様のように神様の命令を受けて前向きに生きる人は常に心に平和を持つことができます。それは、目的や目標をもって積極的に生きる生き方です。自分から進んで何かをしようとする人は傷害や妨害を恐れません。まして、神様のご計画完成のために生きる人には、平和こそあれ、恐怖は微塵もないのです。オリンピック・アスリートもそれを証明しました。私たちもそのように生きていきたいと思います。 祝福を祈ります。