今日の聖句8月5日(木)\(^o^)/ 夢を見た預言者は夢を語るがよい。しかし、わたしのことばを受けた者は、わたしのことばを忠実に語らなければならない。麦は藁と何の関わりがあるだろうか。──主のことば── エレミヤ23:28 私のことばと私の宣教は、説得力のある知恵のことばによるものではなく、御霊と御力の現れによるものでした。それは、あなたがたの信仰が、人間の知恵によらず、神の力によるものとなるためだったのです。 1コリント2:4-5 *************** 今週のテーマ:暴虐の中にも きょうの聖書:黙示録20:7-15 ヨハネの黙示録20章13節14節15節 海はその中にいる死者を出した。死とよみも、その中にいる死者を出した。彼らはそれぞれ自分の行いに応じてさばかれた。それから、死とよみは火の池に投げ込まれた。これが、すなわち火の池が、第二の死である。いのちの書に記されていない者はみな、火の池に投げ込まれた。 「第二の死」 これもヨハネにイエス様から与えられた幻です。第一の復活は永遠のいのちへの復活でした。そして、千年の期間が過ぎると第二の復活があり、これはキリストの裁きを受けるための復活です。その人たちには第二の死が備えられています。第一の死は肉体の死です。第二の死はキリストの刑罰による永遠の死です。 試練と困難の中でキリストに対して忠実に生きた人の名前は「いのちの書」に記入され、神様を冒涜し、キリストに反逆した人の名前はいのちの書にはありません。いのちの書に名前がある人には救いが与えられ、名前がない人は火の池に投げ込まれるということです。この裁きは神様との完全な断絶ということです。 教会に連なり、キリストの赦しを受けたということは何と幸いなことでしょう。 私たちは幸いなのですが、私たちの家族や身内でいのちの書に名前がない人がいたら大変です。家族以外の人なら滅びてもいいということは決してありませんが、そもそも私たちには家族と助け合うという大事な使命があります。 もし、私たちが家族への伝道を怠って、家族が第二の死に落ちるなら神様は私たちの責任を求めます。私たちが家族に伝道した上で、その家族が第二の死に落ちたならその責任はその人自身にあります。私たちは他人のことではなく、自分の事として家族伝道に取り組むことが肝心なことなのです。そのためにキリストは全力で私たちを助けてくれます。 祝福を祈ります。