今日の聖句7月22日(木)\(^o^)/ あなたは、食べて満ち足りるとき、気をつけて、エジプトの地、奴隷の家からあなたを導き出された主を忘れないようにしなさい。 申命記6:11-12 この世の財を持ちながら、自分の兄弟が困っているのを見ても、その人に対してあわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょうか。 1ヨハネ3:17 ************** 今週のテーマ:神の愛 きょうの聖書:1ヨハネ4:7-12 ヨハネの手紙第一4章10節11節 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた、互いに愛し合うべきです。 「優しく生きる」 愛は赦しによって現れ、赦された人に愛が実ります。赦しとは許可ではありません。赦しとは和解のことです。私たちは神様を否定し、神様の愛を拒絶するという罪を犯し続けてきました。それで、神様に敵対していた私たちと神様を和解させるために、御子イエス・キリストが犠牲になったのです。 御父が御子を犠牲にしたというところに神の愛があるのです。ここに愛があるという「ここ」とは、十字架の現場です。キリスト教会のシンボルは屋根の上に掲げられた十字架です。私たちは日々誇らしく十字架を見上げ、私たちの人生に結実した神様の愛を喜んでいます。 ところが私たちも時として、他の人の失敗や欠点が目についてしまい、それを指摘し、あるいは攻撃し、批判することがあります。ヨハネは私たちに「私たちもまた、互いに愛し合うべきです」と訴えています。それは目が悪い人が他の人の目にあるチリを取ろうとするようなことなのです。 互いに愛し合う私たちは、お互いの存在を祝福し、お互いの欠点や失敗さえも肯定する気持ちを持つことが必要です。和解とは仲直りすることです。批判や攻撃の槍をおさめ、お互いにキリストによって罪を赦された者同士として交わりを作り出していくところに私たちの愛がが生まれます。愛し合うとは優しく生きることです。 祝福を祈ります。