今日の聖句7月20日(火)\(^o^)/ 彼がわたしを愛しているからわたしは彼を助け出す。 詩篇91:14 愛する者たち。自分の心が責めないなら、私たちは神の御前に確信を持つことができます。そして、求めるものを何でも神からいただくことができます。 1ヨハネ3:21-22 *************** 今週のテーマ:神の愛 きょうの聖書:1コリント13:1-13 コリント人への手紙第一13章4節〜8節 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、苛立たず、人がした悪を心に留めず、不正を喜ばずに、真理を喜びます。すべてを耐え、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを忍びます。愛は決して絶えることがありません。 「キリストの愛」 ここに出てくる「愛」という言葉は、キング・ジェイムス訳では「チャリティ」となっています。私たちがよく使っているチャリティの語源です。日本語で「チャリティ」は「慈善」と訳されますが、それこそが、神様の愛の本質、神様の心の一番深いところにある意識です。神様の持っている愛、神様が私たちに与えてくださる愛は、「慈善の心」なのです。相手の最善を願い、相手に対して慈愛を常に保つ決意と意識、それが愛なのです。 この「愛」という文字の部分に自分の名前を入れて読める人はいないと思います。この愛の文字に入れてしっくりする名前は「イエス」だけでしょう。そのように読んでみるとイエス様の愛が私たちに伝わってくるように思います。試しに、愛の文字に「イエス様」を当てて声に出して読んでみてください。それだけで私たちは十分に恵まれます。この1コリント13:1-13は毎日音読するように勧められています。 又、これは、こういう愛をもてるように頑張れというメッセージではなく、神様の慈愛はこういうものであり、それが私たちに向けて届けられているので、礼拝の中でしっかり受け取り、毎日この愛の中に留まるようにという勧めがここにあるのです。自分の愛を誇るのは不遜なことだと思います。誇れるとすれば、それはただキリストの愛だけです。 この無限にして永遠の愛はイエス様の十字架によって完全に実行されました。神様の愛はまさに、こういう愛なのだと確信するからこそ、「神様、今日も、この慈愛を私に注いでくださってありがとうございます。今日もよろしくお願いします」と祈りながら、前に向かうことができるように思います。心の中で十字架を見上げる時、ただ感謝ばかりがこみ上げてきます。 祝福を祈ります。