今日の聖句7月13日(火)\(^o^)/ 主よあなたこそ私の周りを囲む盾、私の栄光、私の頭を上げる方。 詩篇3:3 力ある方が、私に大きなことをしてくださったからです。その御名は聖なるもの。 ルカ1:49 ************* 今週のテーマ:キリスト者の苦しみ きょうの聖書:へブル12:4-13 へブル人への手紙12章10節11節12節 肉の父はわずかの間、自分が良いと思うことにしたがって私たちを訓練しましたが、霊の父は私たちの益のために、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして訓練されるのです。すべての訓練は、そのときは喜ばしいものではなく、かえって苦しく思われるものですが、後になると、これによって鍛えられた人々に、義という平安の実を結ばせます。ですから、弱った手と衰えた膝をまっすぐにしなさい。 「訓練」 聖書の中で神様はご自分の民を訓練すると言われています。アブラハムも行先を告げられずにウルを出て行くように導かれました。行き先のない旅に出るとは厳しい試練でもありました。出エジプトの旅は神様がイスラエルを神様の民として建て上げるための旅した。水も食料も保証されない砂漠を40年間も歩かされたのです。 訓練を受けた人が行き着く先は義ですが、それは神様への信仰と謙遜です。目に見えない神様を信頼して生きることも、目に見えない神様に対して謙遜になることも訓練なしには達せられないことなのです。人生の長い月日を費やして私たちは信仰と謙遜の道を学ぶのです。神様は強制的に私たちを訓練するとき、私たちに苦しみを与えます。 その苦しみの中で私たちは、神様に信頼する事、神様に対して謙遜になることを躾られるのです。私たちは親から、箸の持ち方、文字の書き方、お辞儀の仕方も躾けられてきました。それで上手にはならなくても何とか生きています。試練も苦しみも受けたいと思うものではありませんが、この苦しみの先に信仰の成長と成熟が備えられていると思えば辛抱できます。 最後には天の御国が私たちに備えられています。天の御国に入る前に信仰を止め、短気を起こして謙遜を投げ捨ててしまっては元も子もありません。へブル書は今日も私たちに「弱った手と衰えた膝をまっすぐにしなさい」と励ましのエールを送っています。クリスチャン同士で手を取り合い、支え合って信仰を全うする道を進んでいきたいと思います。 祝福を祈ります。