今日の聖句7月12日(月)\(^o^)/ そこで、アブラムはロトに言った。「どうか私とあなたとの間、また私の牧者たちとあなたの牧者たちとの間に、争いがないようにしてくれ。私たちは、親類同士なのだから。」 創世記13:8 兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。 ローマ12:10 **************** 今週のテーマ:キリスト者の苦しみ きょうの聖書:2コリント12:1-10 コリント人への手紙第二12章9節10節 主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。 「弱いときに強い」 パウロは目に障害があったようです。目がよく見えるように三回にわたって癒しを求めたようですが、目は良くなりませんでした。パウロは自分のからだに受けた試練を、キリストがパウロを謙らせるために与えた賜物だと受け止めていました。パウロはキリストから天上の模様を見せてもらったという特別な扱いを受けましたので傲慢になる恐れがあったのです。 癒しを求めたパウロの祈りに対して,キリストの答えは、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」というものでした。これは取りようによっては、祈りを断られたということですが、実はこれによってキリストはパウロの信仰を「弱さを感謝する」域に導いたのです。 弱いときにこそ強いとは、不思議な表現です。普通の人は力が身につくと神様に頼らなくなるのです。しかし、人は弱さに苦しむとき、神様に頼らなければ立ちゆくことができません。そして、神様に頼っている人は神様の全能の力で守られますので、神様に頼らない強い人より、人生をを強く生きることができるのです。パウロはそのことを言っているわけです。 私たちがサタンの誘惑に負けて罪を犯すのは、自分には何の落ち度も何の欠点もないと考えるときです。しかし、私たちは自分の弱さにあえいでいるとき、せめて罪だけは犯すまいという気持ちになります。その人は明らかにサタンに立ち向かっているのです。サタンに立ち向かう人にキリストの守りと助け、恵と祝福が増し加えられます。私も弱さを感謝できる人になっていきたいと思います。 祝福を祈ります。