今日の聖句7月11日(日)\(^o^)/ わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ。 イザヤ56:7 そこには、ギリシヤ人とユダヤ人、割礼の有無、未開人、スクテヤ人、奴隷と自由人というような区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。 コロサイ3:11 ************ 今週のテーマ:キリスト者の苦しみ きょうの聖書:マタイ11:25-30 マタイの福音書11章28節29節30節 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 「安息への招き」 これは、「すべての疲れた人、重荷を負っている人」への招きであり、キリストによる安息の保証です。聖書を読んで神とキリストを知り始め、「ああしろ」「こうしろ」という多数の戒めの重圧にあえいでいる人も、自分の罪深さに気づいて苦労している人も「キリストのもとに来なさい。」と招いている言葉です。 イエス様の優しさと謙遜さにふれるとき私たちの心は憩い、安らぎ、そして活力を得ます。「慈しみ深きともなるイエスは罪、咎、憂いを取り去りたもう」と賛美歌で歌われているとおりです。私たちの重荷と苦しみはイエス・キリストが担って下さいます。このみことばを信じてクリスチャンになった人は星野富弘を初め大勢います。 くびきとは牛馬などの首に掛けて、畑を耕す「すき」という道具をひかせたり、荷車をひかせたりする、動物用の器具です。心優しく、へりくだっているイエス様は「恵み深く、憐れみ深い」というくびきを持っています。イエス様のくびきを私たちに一緒に負わせてくださり、イエス様の生き方を学ばせてくださいます。 クリスチャンの人生にも苦しみが無くなることはありません。しかし、イエス様とのつながりは私たちの重荷とはなりません。そのつながりは人々に「休み」と「安らぎ」をもたらす喜ばしいものです。イエス様につながり、イエス様の「優しさと謙遜」を学びつつ、「恵み深く、憐れみ深い」方向に向いて信仰の歩みを歩んでいきたいと思います。 祝福を祈ります。