今日の聖句7月10日(土)\(^o^)/ 主をほめたたえよ。主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。 詩篇106:1 あなたのすることはすべて、言葉によるとわざによるとを問わず、いっさい主イエスの名によってなし、彼によって父なる神に感謝しなさい。 コロサイ3:17 **************** 今週のテーマ:宣教 きょうの聖書:使徒17:22-31 使徒の働き17章22節23節 パウロは、アレオパゴスの中央に立って言った。「アテネの人たち。あなたがたは、あらゆる点で宗教心にあつい方々だと、私は見ております。道を通りながら、あなたがたの拝むものをよく見ているうちに、『知られていない神に』と刻まれた祭壇があるのを見つけたからです。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それを教えましょう。 「十字架を賛美して」 ここはギリシヤのアテネです。中心地にアレオパゴスがあり、そこにはアテーナー神を祭るパルテノン神殿がありました。アテネは当時の世界の最高学府の地あり、宗教的にはギリシヤの多神教による迷信深い偶像礼拝の地でもありました。ここに評議所がありパウロはその中央に立って「あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それを教えましょう」と語り掛けて伝道したのです。 パウロは偶像礼拝に対して激しい怒りの気持ちを持ったのですが、人々に対しては穏やかに語りかけています。哲学を好み、欲望を満たすことに重きを置いている人々に真の神様を信じて従がう信仰を示そうとしたのです。偶像礼拝者に対するパウロの宣教活動の力の源は復活の主キリストに対面したという事実です。 パウロにはキリストを迫害したという苦々しい思い出があり、その罪を復活の主によって赦された今があるのです。すべての人が罪の重荷に苦しむ中で、自分に与えられた赦しの恵みをすべての人と共有したいという強い気持ちがあるのです。私たちが教会生活に励み続けることができるのも、罪を赦された感謝の気持ちが尽きないからです。 パウロは1コリント1:18で「十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である」と宣言しています。宣教には大きな力が必要ですが、その必要な力を満たして余りあるのが十字架の言葉なのです。私たちにとって宣教するということは、イエス・キリストの十字架を仰いで賛美することと等しいことなのです。 祝福を祈ります。