今日の聖句7月2日(火)\(^o^)/ 見よ。国々は手桶の一しずく、秤の上のごみのように見なされる。 イザヤ40:15 神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。 黙示録22:3 ************** 今週のテーマ:信仰の助け合い きょうの聖書:使徒6:1-7 使徒の働き6章1節2節3節 そのころ、弟子の数が増えるにつれて、ギリシア語を使うユダヤ人たちから、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情が出た。彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給においてなおざりにされていたからである。そこで、十二人は弟子たち全員を呼び集めてこう言った。「私たちが神のことばを後回しにして、食卓のことに仕えるのは良くありません。そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵に満ちた、評判の良い人たちを七人選びなさい。」 「クリスチャンの奉仕」 初代のエルサレム教会です。教会の中にギリシヤ語を使うユダヤ人とヘブル語を使うユダヤ人が混在し、ギリシヤ語を使うユダヤ人に対する給食がなおざりにされているという問題が発生しました。使徒たちが直接給食係をしていては祈りとみことばの奉仕に支障が出ますので、御霊と知恵に満ちた、評判の良い人たちを七人選び、その人たちが平等に給食するということになりました。 この七人の仕事は給食でしたが、その仕事の内容は、ギリシヤ語を使うユダヤ人とヘブル語を使うユダヤ人とを和解させ、秩序のある礼拝をさせるということでした。クリスチャンの奉仕はすべて礼拝に向けられています。教会に属する人が何ものにも妨げられずに礼拝できるようにすることです。 奉仕の結果、教会が気まずくなったり、奉仕した人が疲れて礼拝できないようになってしまっては本末転倒になります。礼拝前に、賛美を妨げ、礼拝に集中させないすべてのものを取り除いて来くださいというお祈りがあります。礼拝することと、礼拝を妨げるものを取り除いていくことが奉仕なのです。奉仕は決して強制されてはなりません。 七人の奉仕者が喜んで奉仕し、「エルサレムで弟子の数が非常に増えていった」と記録されています。この七人の働きによって教会が大いに祝福されたということです。愛と赦しのあるところに助け合いが生まれ、更に一致と協力が発展していきます。そのような社会に魅力があり、人々を引き付ける力が与えられるのです。 祝福を祈ります。