今日の聖句6月28日(月)\(^o^)/ 彼らは、わたしのものとなる。─万軍の主は言われる─わたしが事を行う日に、わたしの宝となる。人が自分に仕える子をあわれむように、わたしは彼らをあわれむ。 マラキ3:17 神は、みこころの良しとするところにしたがって、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。 エペソ1:5 *************** 今週のテーマ:信仰の助け合い きょうの聖書:ガラテヤ6:1-10 ガラテヤ人へ―の手紙6章1節2節3節 兄弟たち。もしだれかが何かの過ちに陥っていることが分かったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。互いの重荷を負い合いなさい。そうすれば、キリストの律法を成就することになります。だれかが、何者でもないのに、自分を何者かであるように思うなら、自分自身を欺いているのです。 「柔和な心で」 1節から6節までで、ガラテヤの人たちに対する奨励の言葉が書かれています。罪を犯してしまった兄弟に対して柔和な心で正しい道に立ち返らせること、そして自らも誘惑されないように、互いに重荷を担いあうように、高慢にならないように、威張らないように、自分の立場をわきまえ、自分の責任を自覚するように、教師の負担を担うように、善を継続的に実行するようになどです。 ただし、なんでも思い通りに「人助け」ができるかと言うと、決してそんなことはありません。各自がそれぞれの「分を知る」ことが必要であり、謙遜さと誠実さを身につけなければ、円滑な人間関係は育ちません。偉そうにしておせっかいが度を過ぎるとうっとうしくなり、喧嘩になります。 パウロはこの文章の中に「柔和な心で」「互いに」「実際には何ものでもないのに、自分をひとかどのように思ってはならない」「神を侮ってはならない」などの言葉を用いて、「謙遜さ」と「誠実さ」をチェックすべきことを指摘しています。イエス様に委ねながら、気負いすぎないように気を付けることも大事です。 言わなくても良いことを口走り、やらなくても良いことをやってしまうという後悔、言うべきことが言えなかった、やるべきことができなかったという後悔は何歳になっても繰り返され、ついてくるような気がします。不甲斐なさに身を切られるような哀しさを感じることは、誰にでもあるものです。 祝福を祈ります。