今日の聖句6月26日(土)\(^o^)/ シオンに住む者よ。大声をあげて喜び歌え。イスラエルの聖なる方は、あなたの中におられる大いなる方。 イザヤ12:6 大勢の弟子たちはみな、自分たちが見たすべての力あるわざについて、喜びのあまりに大声で神を賛美し始めて、こう言った。「祝福あれ、主の御名によって来られる方、王に。天には平和があるように。栄光がいと高き所にあるように。 ルカ19-37-38 **************** 今週のテーマ:信仰 きょうの聖書:マタイ17:14-20 マタイの福音書17章19節20節 弟子たちはそっとイエスのもとに来て言った。「なぜ私たちは悪霊を追い出せなかったのですか。」イエスは言われた。「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに言います。もし、からし種ほどの信仰があるなら、この山に『ここからあそこに移れ』と言えば移ります。あなたがたにできないことは何もありません。」 「生きた信仰」 これは、イエス様がペテロとヤコブとその兄弟ヨハネに栄光の神としてのお姿を見せた後のことです。癲癇(テンカン)を患っている子を持つ親が弟子たちに癒しを求めたのですが、弟子たちの祈りによってはこの子はいやされませんでした。癲癇とは脳神経が異常活動する病気で発作が起こることもあります。 この子の親はこの子をイエス様の所に連れてきてイエス様に癒しを願いました。イエス様は即座にこの子を癒し、振り返って弟子たちの信仰不足を指摘し、「からし種ほどの信仰があるなら、この山に『ここからあそこに移れ』と言えば移る」と説き、「あなたがたにできないことは何もありません」と励ましたのです。 からし種とはゴマの20分の1くらいの埃のような種ですが、からし種ほどの信仰とは、サイズには関係なく生きた信仰ということです。大きかろうが小さかろうが、信仰は生きていなければならないことが教えられています。種とは硬く乾いて生命体では無いように見えるものの現実は内部にしっかりと芽を出す力、命を持っているのです。 私たちクリスチャンが持っていなければならないのは生きた信仰、有効な信仰、実質のある信仰です。イエス様はこの場面で弟子たちに信仰が無いことを嘆かれているのです。信仰とは「イエス様にはできる」という主イエス・キリストへの生きた信仰です。キリストへの期待と希望は永遠に直結するものであり、私たちのいのちと力の源泉です。 祝福を祈ります。