今日の聖句6月25日(金)\(^o^)/ 主の真実は大盾また砦。 詩篇91:4 あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。 ヨハネ8:32 ************** 今週のテーマ:信仰 きょうの聖書:マタイ15:21-28 マタイの福音書15章25節〜28節 彼女は来て、イエスの前にひれ伏して言った。「主よ、私をお助けください。」すると、イエスは答えられた。「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのは良くないことです。」しかし、彼女は言った。「主よ、そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます。」そのとき、イエスは彼女に答えられた。「女の方、あなたの信仰は立派です。あなたが願うとおりになるように。」彼女の娘は、すぐに癒やされた。 「立派な信仰」 ここの場所はレバノンの海沿いです。この記事は21節から始まっています。そして26節まで女の願いは退けられ拒まれ続けます。「カナンの女」ということばには、ユダヤ人の敵という含みがあり、弟子たちもイエス様もこの女を相手にしません。女は自分の「娘が悪霊につかれて、ひどく苦しんでいる」ためにイエス様に救いを求めに来たのです。 この女の信仰が立派だとイエス様に認められた理由の第一は、家族の支援も、同族カナン人からの援護がもなく、イエス様と弟子たちからさえ拒否されているという絶望状態の中で暗黒に包まれながら、「イエス様にはできる」と信じて求め続けている信仰、それが立派なのです。どうせダメだとは思わないのです。 第二は、子犬呼ばわりされたことに「主よ。そのとおりです」と受け止め、「パン」即ちキリストの祝福を受ける資格がないとということを認めていることです。罪のために自分が失格になっているということ、自分の罪深さを知りそれを告白出来ているというところが立派なのです。ここに謙遜が見えます。恵みは謙遜な人に与えられます。 第三は、「食卓から落ちるパンくず」をいただきますと言い、キリストの恵みと祝福は食卓から溢れこぼれるほど豊です、という信仰を表明している点です。キリストの恵みの豊かさを大きく見積もった信仰が立派な信仰として認められたのでした。キリストはいつでも太っ腹です。私たちはめげずに、しっかりと希望を告白することが大切です。あとはイエス様がやってくださいます。 祝福を祈ります。