今日の聖句6月23日(水)\(^o^)/ 私は生きるかぎりあなたをほめたたえあなたの御名により両手を上げて祈ります。 詩篇63:4 また、光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格をあなたがたに与えてくださった御父に、喜びをもって感謝をささげることができますように。 コロサイ1:12 *************** 今週のテーマ:信仰 きょうの聖書:へブル11:23-31 へブル人への手紙11章24節25節26節 信仰によって、モーセは成人したときに、ファラオの娘の息子と呼ばれることを拒み、はかない罪の楽しみにふけるよりも、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。彼は、キリストのゆえに受ける辱めを、エジプトの宝にまさる大きな富と考えました。それは、与えられる報いから目を離さなかったからでした。 「神様に注目」 モーセの信仰で最も尊敬するのは、黙っていればエジプトの王にさえなれたのに、神の民とともに苦しむことを選び取ったという点です。キリストのゆえに受ける辱めを、エジプトの宝にまさる大きな富と考えたということは、イエス・キリストの生涯にも匹敵する大英断です。強いられてではなく、自分から進んでイスラエル人をエジプトから救い出したのです。 もう一つは、29節に「乾いた陸地を行くのと同じように紅海を渡りました」という話です。後ろからは戦車に乗ったエジプト軍が迫り、目の前には紅海が行く手を遮りました。行き詰りましたが、モーセが杖を紅海に差し向けると、紅海は二つに割れ、モーセとイスラエルは乾いた陸地を行くのと同じように紅海を渡れたというのです。モーセは神様に目を向け、神様に注目し続けた人でした。 モーセを選んで出エジプトのリーダーにしたのは神様でした。紅海を二つに割ったのも神様です。モーセにとって神様は明らかに「主」でした。私たちもイエス様を自分の主として仰ぎ、絶えず注目して生きる姿勢がなくてはなりません。しかし、弱い人間はそれができずに、自分を主にしてしまうのです。ここに大きな問題があります。 自動車を運転する人は路面にから目を離さず、信号に注目し続けています。それと同じようにキリストを信仰する人はキリストに注目していなければ信仰生活が成立しないのです。刻一刻変化していく生活環境の中で的確なキリストの導きを受けていくには、絶えず祈り、絶えずみことばに触れていることが肝心の要です。キリストは愛と恵を注ぎつつ、モーセをカナンへ導いたように私たちを神の国へと導いてくれます。 祝福を祈ります。