今日の聖句6月16日(水)\(^o^)/ 見よ、わたしはあなたの咎を除いた。あなたに礼服を着せよう。 ゼカリヤ3:4 あなたがたが救われたのは恵みによるのです。 エペソ2:5 *************** 今週のテーマ:礼拝 きょうの聖書:へブル10:11-18 へブル人への手紙10章16説17節18節 「わたしは、わたしの律法を彼らの心に置き、彼らの思いにこれを書き記す」と言った後で、「わたしは、もはや彼らの罪と不法を思い起こさない」 と言われるからです。罪と不法が赦されるところでは、もう罪のきよめのささげ物はいりません。 「生贄無用」 古代のユダヤでは、動物を生贄にする礼拝が行われていました。へブル人への手紙は旧約聖書は読みながらもイエス・キリストを信じないユダヤ人に向けて書かれた書簡です。そして、この手紙では特に、イエス・キリストによる贖いが完成されたので動物犠牲の礼拝は無用なのだと教えているのです。 モーセの時代か1400年近くも継続された風習ですから、容易にはやめられないのです。しかし、それを止めなければキリストの十字架による救いもきよめも成り立ちませんので、この手紙の記者は熱心に言葉を駆使してイエス・キリストへの信仰を促しているのです。 人類には罪の赦しと魂のきよめという二つの大きな課題があります。この二つは人間の手には負えない難問であり、法律や刑罰、儀式や行事によって片付くものではありません。ですから、神様がご自身の御ひとり子に人類の罪と汚れを背負わせて十字架で死なせたのです。 それを自分の事として信じて受け入れた人が、罪の赦しと魂のきよめを受けて神の子とされ、造り主であり全能者である永遠の神様を礼拝することができるのです。罪によって汚れた人には神様を礼拝すると家うことはできません。私たちが毎日個人礼拝をし、毎週の主日礼拝を捧げることができるのはイエス様が十字架で贖いを成し遂げ、よみがえり、聖霊となって私たちに礼拝をさせてくださるからです。 祝福を祈ります。