今日の聖句6月14日(月)\(^o^)/ 主はいつくしみ深い。主に望みを置く者、主を求めるたましいに。 哀歌3:25 ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはいけません。その確信には大きな報いがあります。 ヘブル 10:35 **************** 今週のテーマ:礼拝 きょうの聖書:ルカ4:16-21 ルカの福音書4章16節〜19節 イエスはご自分が育ったナザレに行き、いつもしているとおり安息日に会堂に入り、朗読しようとして立たれた。すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その巻物を開いて、こう書いてある箇所に目を留められた。「主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、目の見えない人には目の開かれることを告げ、虐げられている人を自由の身とし、主の恵みの年を告げるために。」 「礼拝の習慣」 これはイエス様がユダヤの荒野でサタンの試みを受けて勝利した後のことです。故郷に帰って来たイエス様は安息日に会堂に行き、いつもしているとおりに礼拝に出席しました。イエス様には毎週の聖日に礼拝を捧げる習慣が身についていたことが分かります。それは、子どものころから両親とともに礼拝していたからです。 そして、聖書朗読のために係の人からイザヤ書が手渡されたので、ためらうことなく、イザヤ書60章1節2節を朗読して、すぐに聖書を返却しました。それが「主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、目の見えない人には目の開かれることを告げ、虐げられている人を自由の身とし、主の恵みの年を告げるために」です。 イエス様は旧約聖書の中のこのみことばがご自分を救い主であると述べているのだということを十分にご存じだったのです。イエス様は何時でも何処にいてもその時、その場面にふさわしいみことばを引用して説教しています。聖書を精読し、ご自分を聖書のみことばに合わせて生きる習慣も身についていたのです。 私たちも毎週の主日礼拝を重要なこととして守り続けるものであり、みことばを精読して、常に、みことばに沿った生活をすることを身に着ける必要があります。それには、みことばは他の人に向けて語られているのではなく、神様から自分に向けて語られているのだという受け止め方ができるようにならなければなりません。キリストは私たちを個別に愛し、個別に導いているからです。 祝福を祈ります。