今日の聖句6月12日(土)\(^o^)/ 高慢は破滅に先立ち、高ぶった霊は挫折に先立つ。 箴言16:18 あなたは、兄弟の目にあるちりは見えるのに、自分自身の目にある梁には、なぜ気がつかないのですか。 ルカ 6:41 ************* 今週のテーマ:祈り きょうの聖書:マルコ14:32-42 マルコの福音書14章35節36節 イエスは少し進んで行って、地面にひれ伏し、できることなら、この時が自分から過ぎ去るようにと祈られた。そしてこう言われた。「アバ、父よ、あなたは何でもおできになります。どうか、この時が自分から過ぎ去るように。しかし、わたしの望むことではなく、あなたがお望みになることが行われますように。」 「ゲッセマネの祈り」 最後の晩餐を終えたイエス様は、ペテロ、ヤコブ、ヨハネを一緒に連れてエルサレムの東の門の前にあるゲッセマネの園に来て、苦しみの祈りをしました。ゲッセマネという言葉は「搾油場」という意味のギリシヤ語です。この園にはオリーブ樹が植えられていて、オリーブの実から油か搾られていたのです。 イエス様の祈りも絞り出すような祈りでした。この祈りの中心は、「この時が自分から過ぎ去るように」であり、その意味は、私を殺さないでください、十字架に磔にしないでくださいという辛い祈りだったのです。しかしイエス様は、「あなたがお望みになることが行われますように」と、神様の望み通りになりますようにと祈られたのです。 実際にイエス様が十字架から逃げてしまったら、神様の救いの御計画は中断され、私たちにも救いは与えられなかったのです。主の祈りでも「みこころが天で行われるように、地でも行われますように」と祈ります。私たちの願いや欲望がかなえられるより、神様の御計画が前進していくことの方がはるかに大事なことなのです。 私たちは祈りの中でさえ、自分の我を押し通そうとしますが、それはキリストへの礼拝の姿ではありません。私も「わたしの望むことではなく、あなたがお望みになることが行われますように」というイエス様の御父への祈りの姿勢を受け止めて、祈り深い生活を送らせていただきたいと思います。 祝福を祈ります。